今日は隣接市での火葬に行ってきました。
昨日、あんしん館式場でお別れをした家族と親族18名が
待っており、お別れの室で読経すると、火葬炉に入って
90分間は待合所で待ちました。
待合所の端で必要事項を家族に伝え、集金が済み周囲を
見回すとやたら僧侶が目につきます。
ん!? なんだ・・・
5人グループの僧侶軍団、3人グループの僧侶団と2件
だけでも8名の僧侶がいるではありませんか・・・
最近の前橋では見なくなった光景のひとつです。
葬儀を依頼した寺の住職だけでなく、『脇』と呼ばれる
僧侶が4名の葬儀と2名の葬儀だったのだと思う。
皆さんも見たことがあるかもしれません。
複数名の僧侶が読経を唱える葬儀です。
簡単に言うと僧侶のアルバイトです。
複数名の葬儀ですから、葬儀を依頼した僧侶への布施は
信士信女でなく、最低でも居士・大姉戒名でしょうから、
最低でも40万円~だろうと想像できます。
更に脇僧侶には一人に付き5万円程度は包みますから、
5名の場合、最低で60万円、3名が50万円ですかね。
あくまで最低の布施ですから、実際はもっと高額です。
これは僧侶グループ内で、お互い様アルバイトです。
A寺、B寺、C寺、3件のグループなら、
A寺が導師を勤め(B寺、C寺は脇につきます)
B寺が導師の時は(A寺、C寺は脇につきます)
C寺が導師の時は(A寺、B寺は脇につきます)
脇付の葬儀をと家族が頼んだのなら、好きにすれば良い
ことだし、それが自己満足なら言うことはありません。
ところが大抵の場合、これを寺が半ば強制することです。
なんで葬儀で菩提寺でもない寺にまでアルバイトをさせ
なければならんの・・・あり得ねぇ・・・
寺は痛くも痒くもありませんが、家族は迷惑千万です。
僧侶が身銭を切って脇を置くなら問題ありませんけど、
まぁ100%あり得ません。全額家族払いです。
あるとしたら住職が病気などで葬儀がまともにできない
状況下だけでしょう。
家族が依頼せず、別途費用が掛かる複数名の僧侶が入る
葬儀を強要する人を宗教者とは呼べません。
檀家離れで経営が大変な寺は多いでしょうが、この行為
自体が自殺行為だと気付かないのでしょうか・・・
葬儀業界であれ、宗教界であれ、それらを支えてるのは、
一般人であり同業者ではありません。
今の飯は食えても、将来の飯が食えない考え方・・・・
決して利口でないのは、多くの人が感じるでしょう。
今の収入を抑えることで評判を上げ、依頼者数を増やす
ことで将来も食えるよう種蒔きをするのが普通です。
されど、今行っている現実を例えるなら・・・
将来の収穫用に保存してある種イモを、植えずに食べて
いるようなものです。
今は食えますが近い将来、間違いなく食えなくなります。
こんな当たり前の事が分らず、人に説法など、臍が茶を
沸かすとはこの事です。
極力檀家に迷惑を掛けず、檀家の役に立てる宗教者でな
ければ檀家でいる必要がありません。
だから檀家離れが進んでいるのに、まだわからないとは
宗教者とは、どれだけ世間からずれているのでしょう。
檀家を財布としか見てないような宗教者から、純粋では
あるし、気弱でもあり、人が良くて無知な家族の生活を
守るのも葬儀支援です。
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