彼岸は仏教言葉で対岸、向こう側の事で悟りの地とも
言えますが、簡単に言えばあの世の事です。
春と秋の彼岸は墓参りをする日として有名です。
勿論、墓参りをするのもひとつの方法ではありますが、
大切なのは墓参りでなく、故人を思い出すことです。
家族親族が、皆さん墓の近所で暮らしている訳ではあ
りませんし、仕事の都合で出掛けている事もあります。
或いは海外で生活しておられる方もいるでしょう。
このような人達にとって墓参りは簡単ではありません。
なら、この人達は供養が出来ないか?
いいえ、いつでも、どこでも、誰でも供養はできます。
供養の原点は墓参りでなく故人を思い出す事です。
よく考えれば分ります。
墓参りとは思い出した後の行動です。
20日の朝、小雨の降る中あんしん館に向かう途中で、
何故か祖父母の事を思い出しました。
5才まで、お母さんのように育ててくたれお婆ちゃん、
18才で免許を取った時、トヨタのカリーナ・ハード
トップの新車を買ってくれたお爺ちゃん・・・
稼業が倒産し県営住宅に住んで、70代に近くなって
から魚屋さんで働いて生活し、僕の世話もしてくれた
お爺ちゃんとお婆ちゃんを改めて思い出しました。
世話になるだけなって、何も孝行らしい事はしてあげ
られていません。 面倒ばかり掛けてたのです・・・
もし今生きてくれていたら、少しでも孝行出来たな、、
孝行をしたい時に親は無しって言うけど、僕の場合は
それが祖父母に対して強くあります。
こうして思い出すと涙が出てきます。
きっと半分は後悔の涙、、
半分は祖父母が存命中の懐かしさだと思う、、
今の僕に出来るのは、時々祖父母を思い出すこと、と
元気で生きる姿を見せ続けることだけです。
それと・・・
供養とは仏教の言葉ですが、両親や祖父母を思い出す
ことは宗教でなく、家族愛のひとつだと思う。
だから他の信仰がある人も、彼岸という日を利用して
今は亡き母、父、祖母、祖父、或いは配偶者や兄弟姉
妹などを思い出す日にしてもいいと思う。
日本には大切な人を思い出せる日が何日もあります。
1月の正月・3月の春彼岸・8月の盆・9月の秋彼岸
そして命日、思い出した時に目を閉じ、大切な人達の
笑顔を思い出すのも良いんじゃないかな。
故人に縛られるのは褒められないけど、自分に生ある
限り忘れることなく、良き思い出として心に残す。
こんな時、人は優しくなれるものです。
もしかしたら・・・
僕が家族目線で温かい葬儀に拘るのは、祖父母にでき
なかった事の後悔を、会員さんにさせたくないからも
あるし、会員さんの葬儀の向こうに祖父母を見ている
のかもしれません。
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