本日の朝一で火葬された方は、元葬儀社に勤務しておら
れた方で、あんしんサポート会員には、僧侶や元葬儀社
社員という会員が数名づつおられます。
過去に葬儀された方もいますが、この方々には共通点が
あります。 現行の葬儀社と宗教者に対して無用論です。
さらに残る家族を最優先した自身の葬儀を希望します。
1件だけ父の一般葬儀を行いましたが、他は全て直葬系
葬儀を行った現実をどう受け止めるかでしょう。
人が亡くなったあとの事は誰にも分りません。
逝去後について宗教毎に全て違いますし、我々は死後の
経験が無いのか、記憶に無いのか定かではありませんが、
分らない事は不明とするのが普通です。
その点に関しては、特定の信仰を持たない人は葬儀社の
人達も納得でしょう。
また葬儀は『故人の為』か『残る家族の為』に行うもの
この点に関して普通の感覚の人なら異論はないでしょう。
だとしたら答えの原点はひとつしかありません。
よく考えれば誰でも分かることです。
『故人の為の葬儀』
多くの場合、家長である父母や祖父母が先に逝きます。
一般的な例で考えてみましょう。
父親が逝去し母親と子供達が残るとします。
》故人が一番に望む事はなんでしょう?
・自分葬儀を可能な限り豪華にする事ですか?
・宗教者に高額な読経や戒名を付けて貰うことですか?
いいえ違います。普通の父親なら誰でも同じ答えです。
『残る家族が毎日を元気に笑顔で生きてくれる事です』
次に『残る家族の為の葬儀』
故人を温かく送りたいのは間違いありません。
しかし葬儀は無料でありませんから、まずは残る家族の
生活が守れる事が第一で当然です。 結局は同じ・・・
『残る家族が毎日を元気に笑顔で生きられる事です』
葬儀は数日の事ですが、残る家族の生活は何年、何十年
と長きに渡り続きます。

子供が生まれる時、日本中、或いは全世界かもしれませ
んが、親が望む事はたったひとつです。
『元気に生まれて欲しい』
究極を考えれば、答えはいくつもありません。
人の死も同じです。 突き詰めれば答えはひとつです。
故人の為でも、残る家族の為でも同じ所へ辿り着きます。
現行の葬儀社や宗教者は、根底手前での話をします。
『余裕の範囲で』という前提を伏せた故人の為であるし、
家族の為の葬儀を商売にすべく提案しているのです。
現役の葬儀社社員なら、当然勤務先で葬儀をします。
生活できる檀家数のある寺の住職なら仏式葬儀をします。
しかし『元葬儀社社員』『守る寺の無い僧侶』が希望を
するのは、宗教者不在の直葬系葬儀が多い現実があると
いうことを知っておかれると良いでしょう。
霊感商法が成立するのは、誰も分らない世界をアニメの
ように映像化させ、不安にさせ、その不安を取り除ける
方法が利益を得られるからです。
いつも言うように宗教観を否定する気は毛頭ありません。
故人を偲び、自分があるのは先祖がいてくれたからだと
感謝する心は情操教育の一環として必要だと思います。
自分より弱い人、老人や、妊婦にも優しくなれるなどの
道徳感も大切だと思います。
また生きていく上での信仰も、自分達の人生がより良い
ものへと成り得るなら良い事だと思います。
問題はその後に『金』それも『高額な金』が着いて周る
その現実が大問題だと言っているのです。
故人の供養に高額な費用が掛かるなどあり得ません。
金はこの世の物であり、あの世には無いのです。
結局はこの世の者達が使うのです。
余裕のある人なら、それも良しですが余裕の無い人達も
同じように高額な選択肢しか無いのは間違ってます。
その人達の能書きを聞けば分ります。
・特定信仰のある人
・そこから利益を得ている人
これらの人達だけが、さもさもらしく話しをします。
極普通の無信仰の人達なら、僕の言葉が正論に聞こえる
ことでしょうし、そんな人のほうが圧倒的多数でしょう。
信仰のある人達に道理があるように、無信仰にも道理が
あって然るべきです。 それを言葉にしたり、こうして
書き続ける事が、葬儀支援とは何かを伝えることであり、
後世へのメッセージにもなるはずです。
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