このテーマがようやく書ける年代になりました。
今から11年前52才の時、青天の霹靂とでも言うのか、
降って湧いたような流れで、気がつけば葬儀の世界へと
流されていた訳ですが、自然の流れに身を任せたときは、
決して悪い状況にならないのが、僕の人生でもあります。

戯言ですが、僕が中学生の時に蒸発した親父の逝去から
始まった事ですから『これがお前の天職だよ』と37年
離れて暮らした父親からのメッセージに思えたと、著書
にも記した通り10年が過ぎた今でも変わっていません。

この言葉の前には、こんな感覚があったのです。

『人は頑張っても成功せず失敗することだってある』
『稼業の倒産を経験したお前なら分かるだろう』
『お金が無い寂しさ、辛さ、心細さも経験しただろう?』
『世の中にはお金が無い人はいくらでもいる』
『みんな好き好んでお金が無いわけじゃない』
『死を覚悟した人間が葬儀費用の心配をしながら生きる』
『辛いし、苦しいし、情けないもんだよ』
『お前なら、その人達を助けられるものを持っている』
『これがお前の天職だよ』

これも人に言わせれば戯言でしょう。
人がどう思うかは問題ではないし、それで構ないと思う。
ただ葬儀の世界に入る流れが、あまりに出来過ぎている。
当の本人がそう感じるほどです。



当初は一般葬儀主体、次第に家族葬へと移行し、今では
直葬系の葬儀、特にぱっく60が主流となっている。

一般葬、家族葬主流の流れを変化させずとも良かった。
当時から会員は増え続けていたのだから、経営としては
余裕なのに、何故、わざわざ利益の減る葬儀へと主体を
移行してきたのか・・・と考えてみた。

答えはでない・・・
無意識では無いだろうが、それが当然の如く走ってきた。
あとに引けなくなった今、ようやく考えられる時がきた。

ブログで何度も書いてきた言葉がある。
僕の意思というより、何かに引っ張られている気がする。
戯言の典型のような言葉で、書いてる本人も苦笑がでる
くらいだから、読んでくれる人は尚更だろう。
とは言え、それが本音だからどうにもならない。

10年が過ぎた今、改めて当時感じた感覚を書き出して
みると、やっぱその方向に向かって走っているのだけは
間違いないようです。 

天職なのも間違いなさそうです。
葬儀の仕事が天職なのではなく、僕の自己満足で他人が
助けられる結果に繋がるって感じかな。

この『自己満足』決していい意味で使われる事の少ない
熟語だと思いますが、人が生きていく上では大切な要素
だと感じます。 ってゆーか、人間最後は自己満足だろ
って気がするのです。

そして自己満足が最も必要なのは、定年後の人達です。
次回『定年後に生き甲斐を求めるなら葬儀をやれ』です。


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