数珠についての質問を頂きましたが、似たような感覚で
悩む人は結構多いです。
僕みたいに明確な回答を持っているほうが、珍しいかも
しれないと思うほどです。
ひとつ知って欲しいのは、葬儀の慣習は地域毎に違うし、
同じ宗派の僧侶でも言う事が違う・・・ なんてことは
極普通にあるのが現実です。
僕らが葬儀を始めた当時、真言宗は六角塔婆を使う寺が
多かったですが、この数年間使った事がありません。
小さな塔婆が7本差してある七本塔婆も、最近では使う
寺より使わない寺のほうが増えてる気さえします。
土葬した場所に墓標が立つ前から朽ちるまで墓に置いた
のが、ワンプという袋を被った野位牌ですが、いまでは
火葬場に持っていく位牌になっています。
塔婆の話しが出たついでに書きますが、納棺師をする時
には話すことの多い話題のひとつが塔婆です。
墓の後ろや横に置く、文字の書いてある木の板と言えば
分る人も多い『塔婆』についての話しです。
塔婆(とうば)は外塔婆(そっとぅば)が本来の当て字
だと思うが、語源はサンスクリット語のストゥーパです。
土饅頭というか、釈迦の遺骨を納めた土の墓のことです。
まず初めに関東の人達は塔婆は日本全国どこでもあると
思っていませんか? 僕も数年前までそう思ってました。
ところが、過去に九州の人達が2度の葬儀をしましたが、
別々の県にも関わらず、どちらの人達も塔婆の存在すら
知りませんでした。 多分、、九州には塔婆の無い県が
多いんじゃないかと思う。
ちなみにどちも塔婆の無い浄土真宗ではありません。
形状は五輪塔、おでんのような形の墓を見た事ある?
上から『空』『風』『火』『水』『土』で古代インドで
宇宙を司る五大要素と考えたらしく、多重塔の部分には
梵字で下からア・バ・ラ・カ・キャと書く事も多い。
あとは故人戒名、各年忌法要など書れる事が多い。
裏側には年月日や施主名が多いと思う。
同じ宗派でも地域によって塔婆はない・・・
同じ仏教でも宗派によって塔婆はない・・・
これが無料や1.000円なら、何も言う事はありませんが、
5.000円、10.000円、或いは年間の支払いに含まれる等
ある程度の費用が掛かっている事です。
問題はこの先です。
塔婆を供える事が供養だと思う方は供えれば良いと思う。
しかし、そう思わない方は、みんなしているから・・・
ってのは止めたほうが良いと思うわけです。
供養だと言うなら『故人を思い出せば良いし』墓がある
なら『墓参りに行けば良い』と思うけどなぁ・・・
墓を濡れた布で拭き、雑草をとり、線香と花を供えた後、
墓に向かって近況報告でもして帰ってくる・・・
僕はそのほうがずっと供養だと思うけど。
供養とは心の問題です。お金の問題ではありません
ついでだから書きますが、墓参り代行ってのがあります。
墓を掃除したり、綺麗に拭いたりは問題ないと思います。
汚れているより綺麗なほうが良いのは間違いない。
ただ墓参りにについては若干疑問です。
もし貴方が故人だったら、見ず知らずの人が来て線香を
供えてくれる。 まぁ他人でも有難いと思う人もいれば
なんなの? あんた誰? って思う人もいるでしょう。
だから掃除は代行して貰っても良いから、墓参りに行け
ない時は、家の仏壇等に手を合わせれば良いと思う。
個人的な感覚で言えば『供養の代行はあり得ない』です。
人がしているかどうかより、自分が故人だったらと考え
てみれば良いんじゃないかなぁ・・・
みんなと同じ事をしていると安心・・みたいな人は多い
ようだけど、もっと自分を持つことも大事です。
その感覚が世界屈指の高額葬儀を招いている要因です。
自分なら、こうして欲しいと思うことをすれば良い・・・
あなたが変人で無い限りは・・・
少し飛躍しますが、集団のイジメ問題について考えると、
みんながしてるから、自分も従わないと仲間外れにされ
るからって感覚も否定できないと思う。
みんながしている・・・ それがいい事とは限らない。
にほんブログ村
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります