昨日は湯かんの直前、施設から余裕の無い入所者が逝去
され相談に乗って欲しいとの連絡を受け、電話で話して
午後3時頃のお迎えとなりました。

家族葬、隣接市斎場で火葬が済むと、自宅には行かずに
前橋に戻り予定通り施設へのお迎えです。

最近は本人でなく、施設や病院からの相談が増えてます。
医療費、施設費用が年金では賄えない人も多く、預貯金
切り崩しての生活、しかし後に残る配偶者の生活を考え
ると、うちに相談したくなるのは分ります。
裏を返せば『相談できる葬儀社が無い』のが現実です。

搬送も終わり、ようやく本日初の食事をとったのは午後
5時頃でしたが、食べ終えて片づけていると、知人夫婦が

寄付金を持って来館してくれました。

お茶を飲みながら暫し話しをしていると、奥さんの母親
介護の事と、奥さん自身の体重が減って、少食になった
などの話しになりました。



夫婦にとっては日々の生活の話題でしょうが、客観的に
聞いてる僕は少し違和感を感じます。
話しを聞きながら、少しつづ突っ込んで聞きます。
ある程度まで聞くと確信に近くなり夫婦に言います。

「今の生活を続けると自分が壊れちゃうよ」
「お母さんの自宅介護は何年になったの?」

「なんだかんだと10年くらいになるかな」

「今の生活が数か月で終わるならそれも良いけど」
「あと10年って事もあるわけでしょ」
「だとしたら、間違いなくその前に自分が壊れちゃうよ」
「鬱になったら回復には5年、10年掛るわけで」
「自分がいくつになると思う?」
「だからお母さんは月1のショートステイから始めて」
「月2、月4と増やして施設入所に移行したほうが良い」
「自分は自分の人生を生きるべきだと思うよ」

もっと細かい話しもしましたが、この手の問題を抱えて
おられる人は多いはずです。
僕の意見を書きますから参考にされると良いでしょう。
施設入所は費用面でも掛かりますから、費用的に何とか
なる家族の場合についてです。

》親の介護を自分で看なければと自分を追い込むな
》周囲の雑音に惑わされるな
・親の兄妹は子供が看て当然のように言うが気にするな
・偉い、立派などの褒め言葉に惑わされるな
》自分の人生を楽しむ事を忘れるな
》自宅で看る事が最善と思い込むな

書けばもっと沢山ありますが、最も言いたいのは・・・

『自分が病気になったらどうなるか考えろ』です

自分が病気になったら親の面倒も看られないし、自分の
事も配偶者の世話も出来なくなるだけでなく、家庭その
ものが崩壊する事にも成り兼ねないのです。

まずは自分の生活、夫婦関係、家族関係を最優先すべし、
そこに『幸せ』があれば、優しい心で親とも接しられる。
そこに『不幸』があれば、優しい心は芽生えません。

真の親子が毎日顔を合せていれば、喧嘩もするし互いに
言いたい事を言うようになる。
初めは感謝してた親も、いつか当たり前になり、もっと
要求するようになって当然です。

なら施設に入って貰う事で、自宅では難しい介護もして
貰えるし、友人もできるし、慰問もあるし、レクリェー
ションもプロの人達がしてくれます。

更に週に1度、2度と面会に行けば、いつまでも優しい
子供でいられ、親も感謝してくれるのです。

施設に預けれられる費用の問題はありますが、その点が
クリアできる家族は、一考すべき事に思える。

我が家でも義父の面倒を娘である奥さんが看てましたが
マダラの痴呆になった時、面倒看ている奥さんのほうが、
おかしくなりそうだったので、すぐに施設を探して入所
して貰いました。

その意味では、面倒を看ている本人より、周囲の家族が
看ている人の異変に気付いてあげる必要があります。



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