長いあいだ仕事をしてきましたが、改めて仕事人生を
振り返ると『末端の消費者最優先』が、僕の考え方の
根底にあるように思える。
若い頃はスーパー業界の鮮魚部にいた時期もあります。
パック商品の陳列ケースを整理してた時、近くにいた
お婆ちゃんの独り言が聞こえた。
「2切れ入りだわ、何回かで食べれば良いかぁ」
一瞬、何を言ってるか分からず声を掛けた。
「お婆ちゃんどうしたの?」
「いやね、私1人だから1切れ余るでしょ」
「まぁ、後で食べれば良いんだけどね」
少し腰の曲がった婆ちゃんが、シワシワの笑顔でそう
話してくれました。
「ちょっと待ってて」
パックを1つ持って奥に行き、1切れのパックを作って
半額の値段を付けて渡しました。
「ありがとね、、」と笑顔で持っていかれました。
その後は、一番手前に1切れパックを置くようなった。
これなら独居者は勿論、3人、5人家族も対応できる。
お婆ちゃんに売り方を教えられた経験です。
美容室の経営指導をしている時代、美容関連経営時代、
そして、現在あんしんサポート代表と、いつの時代も
根底にある『エンドユーザー第一思考』は同じです。
その発想の原点はどこにあるのか考えてみた。
スーパーの息子として育ち、中学生で倒産を経験した
事はブログ表紙右にも書いてある通りです。
元々は鮮魚店から始まり、父親の代でスーパーにした
わけですが、商売については5才頃には、お婆ちゃん
から色々聞かされていた記憶があります。
敗戦後は物の無い時代が暫く続いたようです。
物が無い時代でしたが、うちのお店には大きなザルに
山もりにされた『落花生』と『乾燥芋』が2つ置いて
あり、買い物に来た人達に「好きに食べておくれ」と
言ってたそうです。
魚を買いに行けば落花生と乾燥芋がタダで食べられる
なら他の店に行くより得するからいくよね。
また昔は丁稚さんと呼ばれる人達が、数人働いてくれ
ていたそうですが、食事は各自専用の膳があり上座に
祖父母、家族、年長者の順に座るのだそうです。
しかしお膳に鮭の切り身があるとしたら、子供達には
尾に近い部分の切り身、丁稚さん達には一番良い部位
だったらしく、ある時5人の子供が言ったそうです。
「何で○○どん達は良い切り身で子供は尾っぽなの?」
すると母親である僕のお婆ちゃん、が言ったそうです。
「仕事をしているのはお前達でなく、〇〇どん達だろ」
「みんなが働いてくれるお陰でお前達はご飯が食える」
「お前達が働けるようになったら同じようにするよ」
経営者である祖父母にとって一番大事なのは、買い物
してくれるお客様、次は働いてくれる丁稚さん達だと
言うのがハッキリ分る逸話です。
お婆ちゃんの商才については、本人だけでなく子供達
とか、色々な人に聞かされましたが、この血を引いて
いたら結構な商才を備えた人物になるでしょう。
残念ながら僕にはそれほど伝わらなかったようです。
しかし商道というか、商売や人に対する考え方などは
幼い頃から聞かされてきたものが役に立った事もある
だろうと思いますし、僕の根底に流れる部分でしょう。
『三つ子の魂百まで』ということわざがあります。
5才まで母親を知らず、お婆ちゃんの背中で過ごした
のが僕ですから、良くも悪くもお婆ちゃんの生き方や
仕事の感覚を身体で覚えてきたのかもしれません。
話しは少し違いますが、子供の頃、お婆ちゃん子でし
たから時には『年寄り育ちの三文安』と言われた事も
ありました。 甘ったれで、我がままで、行儀も悪い
というような意味だと思います。
 
その通りかもしれません。
が、しかし年寄り育ちのほうが優しいのも確かです。
何事にも『表』があれば『裏』があります。
時に『短所』にもなれば『長所』にもなるものです。
人生を生きる中で、仕事をする中で、個々の価値感は
かなりの違いがあります。
お金に執着する人もいれば、名誉に執着する人もいる。
その中で僕は『エンドユーザー第一主義者』が仕事の
根底であり、あんしんサポート設立以降は、この感覚
プラス頭の部分に『弱者』が加わったのだと思う。
この感覚が時に自分の首を絞める事にも成り得ますが、
幼き頃に培われた感覚であり、性格ゆえに直せる部分
ではないような気がするし、直す気もありません。
その意味では人生後半に来て、本来自分の中に持って
いる資質を前面に出して仕事ができるのは、恵まれて
いるのは間違いありません。
日本人は一生仮面を付けたまま過ごすって人も結構な
人数いるんじゃないかなぁ・・・
素の自分さえ分からない人だっているでしょう。
そう考えると、やっぱ僕は恵まれてるなぁって思う。
 
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