僕の葬儀に対する持論は、
「死んで騒ぐな、騒ぐなら生きてる時に騒げ」です。
死後お祭り騒ぎの葬儀をするのは、残る家族の自己
満足の現れでしょう。
僕自身は一般的に行われている葬儀を良しと思って
ないし、大きな葬儀は家族の為の葬儀ではないって
確信を持って言えます。
勿論、見栄や建前が大切な人はそれで良いでしょう。
僕の価値観を押し付けるつもりはありません。
それは僕の根底にある人生観のせいでしょう。
自分では感じませんが、人に言わせると『波瀾万丈』
これが僕の人生を現す言葉だそうです。
60年以上の齢を重ねて思う人生観は・・・
「人生で一番大事な事は己が人生を精一杯楽しむ事」
という感覚は年を重ねる毎に強くなっています。
人は生まれた瞬間から不公平です。
人生は皆平等・・・なんて言う人は信用できません。
》平和な先進国生れ ⇔ 戦時下の難民生まれ
》富裕層生れ ⇔ 貧乏生まれ
》美人生まれ ⇔ 不細工生まれ
誰が聞いても公平とは言わんでしょう。
不公平さが精神や肉体にも及ぶのは誰も知る所です。
しかし、自分に与えられた自分の人生を精一杯生き
たり、楽しむことは可能です。
もうひとつ、自分の人生とは自分だけでなく、家族
にも同じ事が言える場合もあります。
DVに代表される家庭内暴力があれば、人生を楽し
むなど出来なくて当然だし、20才近くになっても
仕事もせず、引き籠りの子供がいたら楽しめない。
僕の知る限り理想の家族は、サザエさん一家ですが、
『会話と笑い声のある家族』ってことです。
こんな根底から、相談に来る家族にも「自分の人生、
夫婦の人生、家族の人生を楽しむ事が第一」と言う
わけですが、問題は自分自身の事です。
千明も同じですが、我々の生活は24時間365日
全て会員さん次第の流れで動いています。
大晦日、元旦、日曜日など一切関係ありません。
どんな計画を立てても一本の電話で全て変更です。
医者の予約変更などいつもの事です。
先日の葬儀で湯かんの時、この手の話しをした際は、
皆さん納得されていました。
ところが翌日の火葬中、僕自身の現実は中々難しい
と話すと「昨日の話しは営業トークですか?」って
言われました。
僕らの仕事が理解できて無い人に説明するのは面倒
ですから、その言葉に触れませんでしたが、葬儀を
している最中の親族でさえ、我々の仕事が24時間
365日の体制だと気付かないようです。
時々ブログにも書きますが、僕が一番気にしている
のは付き合い始めてから47年間、結婚してからは
41年黙って付いてきてくれた奥さん孝行が、でき
てないことです。
仕事で前橋から90分の距離にある散骨に行くのも
神経を使いながらが現実です
お互いが元気なうちに奥さんを連れて、本音は10
日間、それが無理なら6日間のハワイ旅行くらいは
連れて行ってあげたいですね。
ところが仕事の予定が立ちませんから難しい・・・
人には人生を楽しめと言ってるくせに、自分ででき
ない『紺屋の白袴』そのものです。
紺屋の白袴とは・・・
『紺屋が自分の袴は染めないで、いつも白袴をはい
ていること。 他人のことに忙しくて、自分自身の事
には手が回らないこと』
書いて思ったけど、この感覚は昔から持っています。
家族と仕事に対する感覚、僕の中では2種に大別し
ているのですが、そこからきてるのかも、、
『家族との時間を楽しむ為に仕事をする』
『生活にゆとりがあるから温かい家族がある』
他にもあるかもしれませんが、この2つニワトリと
玉子のような気もします・・・
皆さんはどちら派ですか?について次回に書きます。
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創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります