昨日は隣接市の斎場に10時30分到着予定ですが
道路の雪状況でスタッドレスの寝台車か、ノーマル
の霊柩車を決める事になっており、どちらを使うに
しても洗車が必要と8時30分前には自宅を出発。
あんしん館と自宅の中間点にある団地を走ってると
携帯が鳴った。
先日施設の方に連れられ、お爺ちゃんが入会にきた
のですが、寝たきりで近々と言ってたお婆ちゃんが
亡くなった知らせらしく、まだ自宅にいるだろうし、
朝から出棺、搬送車洗車、隣接市斎場へ行く予定が
組まれている為、どうするか指示を仰ぐ電話でした。
もう半分の距離まで来ている旨を伝えると、驚いて
「えっ!? 搬送入るの分かってたんですか?」
「そんなの分かるなら予言師になるよ」と笑う。
千明は到着しているとの事、10分で到着するから、
すぐに搬送の準備を始めるよう伝える。
流れとしては、
『施設にお迎えに行く』
『あんしん館にご安置する』
『霊柩車の洗車と出棺』
『隣接市斎場へ霊柩搬送』
『火葬・待機(集金と火葬後相談)』
『収骨後、あんしん館に戻って死亡届出書記入』
『前橋市役所提出』
午後3時頃には身体が空くから昼食・・・だな。
あんしん館までの10分、頭の中に描いた予定です。
ほぼ最後まで予定通りでしたが、普通じゃ無かった
のは午後3時の気温が-3℃だった事です。
-3℃、真冬の夜中に1度あるか無いかの気温です。
調べていませんが今朝がたは-5℃くらいかもです。
この老夫婦、施設職員に連れられてきた時、自分は
余り話しをする人でなく、職員から話しを聞く限り
同じような人生、或いはもっと大変な人生を歩むで
あろう人達が沢山いるだろうと思えた。
・左官屋さんを自分でしてたお爺ちゃんです
・大変な時は掛けておらず少額の国民年金のみ
ようは、サラリーマンでなく自営業の人達です。
厚生年金でなく、国民年金の人達です。
更に自分の家があれば生活保護も受けられません。
63才の僕でも、自分の死を現実のものとして受け
止めるのは難しいです。
60才以前は全く考えられないのが普通でしょう。
もっと言えば老後すら考えられないと思う。
人間って、、、って、俺だけかなぁ・・・
ある意味で馬鹿なんだと思う。
人は必ず死を迎える事、それが明日かもしれないと
分っている。 けど自分が明日死ぬとは思ってない。
全て他人事にしか思えない。
これは死だけでなく、老いに於いても同じです。
10代なら40代の自分は想像できない。
20代なら60代が想像できない・・・
40代、50代になって尚、70代は想像できない。
ところが、いつの間にか50代の自分がいる。
それでも60代以降の自分の姿は見えない・・・
元気で動けるうちは、食うに困る事が想像できない。
動けない自分など考えることすらない。
ところが・・・
こんな現実は否応なくやってくるのです。
更に子供がいても同居していませんから、年老いて
からの同居は難しく、別居している子供達は自分の
生活さえ満足に出来ず、親子間の絆も細く子供達は
自分達優先、年老いた両親の事などさして考えない。
少額年金だけで細々と老々介護の生活が長く続いて、
配偶者が亡くなれば独居老人の生活、最後は孤独死、
こんな現実が当たり前に起きている時代なのです。
いかがですか?
明日は我が身って人、結構いるんじゃないかな。
この夫婦、当然お金はありません。
話しの中で、お爺ちゃんはロッカー式の墓に納めて
ある両親の遺骨が気になっているようでした。
お婆ちゃんは、ぱっく60で少量の遺骨は手元供養
する事になったので言います。
「お爺ちゃん、ロッカーの遺骨は気になるかい?」
「うん・・・」
「自分が死んだ後、どうなるかって事かな?」
「うん・・・」
施設職員にたずねます
「遺骨整理する費用なんて無いよね」
「そうなんですよ。 今も不足分は行政支給です」
少し考えてから、こう言いました。
「ならロッカーの遺骨は、職員さんが出して持って」
「きてくれたら、お婆ちゃんと一緒に散骨するよ」
「墓から散骨は改葬じゃないから、行政許可は要らず」
「墓の管理者との手続きだけして出してきてね」
ロッカーの骨壺2柱は、先日お婆ちゃん逝去よりも
前に届き乾燥させ粉骨にしてあります。
相変わらず無利益の奉仕も多い、あんしんサポート
ですが、国民一人一人が『明日は我が身』の感覚で
『お互い様』の心で自分にできる事をすれば、遠い
昔の日本にあった良い国民性が復活すると思う。
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