今回のテーマを一度書いたのですが、読んでも理解は
できないと思うと千明に言われ全て書き直しです。
ただ書き直しても理解して貰えないかもしれません。
千明曰く、何を書いても理解は難しいと思うとのこと、
実際に葬儀をした家族は言葉でなく、現実として理解
して、その現実が予想外だから紹介したくなるという
流れのようです。
18日の葬儀も、友引明け20日の葬儀もそうですが、
葬儀社と家族の距離感ではないと言います。
今日の葬儀も自宅に搬送した時から、人が話している
途中でいちいち受け答えする喪主の奥さんでした。
話しが進まないし、話してる僕も、他の家族も理解が
し難いからと「喧しいなぁ、ちょっと黙ってねぇ」と
結構きつい突っ込みをするのも僕です
普通に考えれば、相手や家族が気を悪くしても不思議
ではないのに言われた本人も含め、その場にいる全員
笑って和やかな時間になります。
帰りに「賑やかで温かくてお婆ちゃん喜んでるよ」と
言われ、家の外まで出て送りだしてくれます。
その流れをずっと見ていた千明が車中で言います。
「何度も言いましたけど不思議というか特技ですね」
「こんなに業者と家族の距離は近くならないですよ」
「私では代表の真似は絶対にできないし、あれだけ」
「人懐っこい息子さんでも真似できないですもんね」
「横で聞いてて綾小路きみまろの漫談ですもん」
しかし、僕の中ではそんな意識は全くありません。
だからと言って、葬儀だからと無理矢理悲しい顔を
することもありません。
その家族の持つ空気を読んで対応するだけです。
初めて会った人でも昔からの知り合いみたいに感じる
とは時々言われますが、人懐っこいって事でしょう。
事前相談の時と似ていますが、初めの10分が勝負で
10分以内に垣根が外れ、家族の心の扉が開けば終始
和やかな雰囲気のまま葬儀が終わるまで進みます。
今日の出棺時、自宅に行くと20名以上がいました。
出棺まで10分ほど時間が空いたので『供養とは』と
『最高の供養とは』を棺を囲んで話しました。
数人は涙を拭いながら聞いていたようです。
斎場に到着すると更に増え30名を超えています。
そこでもいくつかの話しをしました。
搬送時から始まり、最後の最後まで僕からお金の掛る
話しは出ません。 安置した時、葬儀は死して始まる
ものでなく医者がサジを投げた瞬間から始まることや、
存命中に無理せずできる事をしてやれば、死んで騒ぐ
必要はないなどの話しを聞いています。
搬送安置してから2時間ほど色々な話しをしました。
多分・・・
今回の故人の孫や我々を知らない人も、最初は黙って
聞きながら我々がどんな人間か探ってたと思う。
安置が済んで打合せが始まると、予想外言葉の連続で
自分達の事を考えてくれているのが分るんだと思う。
そして一気に心の鍵が開くんじゃないかな。
だから「喧しいなぁ」みたいな事を言ったり、きつい
事を言っても笑って聞いてくれるんじゃないかと思う。
少しでも家族の負担を減らそうとしたり、無駄な事は
要らないと言ったり、家族のひとりと言うか、家族の
相談役みたいに思ってくれるんじゃないかな。
その姿勢は葬儀が終わるまで全く変わらない。
支払い面では、多くの人が初めに聞かされた金額より
多少は高くなると思うらしいし、多少高くなったとし
ても仕方ないと思ってくれるようですが、最初に提示
した金額のまま請求されるので驚く人が多いです。
「武井さん、もう少し高くしても良いと思いますよ」
と支払いの時に言う家族も結構います。
「69.000円でも大変な家族は沢山いるからね」
「できるだけ値上げせず、行けるとこまでいくよ」
これがいつもの答えです。
また寸志? 心付け?を渡そうとする家族は多いけど
「1万や2万なら要らないよ。くれるなら帯付だね」
「出来れば十文字の帯が良いけど。最低でも帯だね」
「じゃ無かったら要らない」と受け取りません。
この点に関しては、僕なりの意味があっての事ですが、
まぁ受け取ることはありません。
でね、僕はこんな風に思う。
本気で自分達家族の事を考えてくれる人だって分れば
多少失礼な言い方でも怒る事はないし、より身近にも
感じるんだと思う。
葬儀の内容費用から始まり、国保の葬祭費、年金支給、
遺産相続、更に納骨の方法や墓誌彫りの話しになれば
以前の石屋に支払った半額なのです。
何を聞いても、何を話しても全て自分達家族の生活を
最優先して支障の無い話ばかりのまま葬儀が終わる。
これが再入会は当然で、信者みたいになる人も多くて
紹介したくなる理由なんだと思う。
最期の紹介は、我々が紹介して欲しい訳でなく、紹介
したくなると皆さん口を揃えて言います。
こうして書いてみると、最初の書いた文章と全く別物
ですが、テクニックの問題ではないように思う。
『本気で家族の事を考え、持てる知識で最善を尽くす』
人は本気と建前とを感じ分けられる
能力を備えているのかもしれない
あなたのしている事が建前ではなく、
本音なら、ちゃんと相手に伝わる
反面、建前も建前として伝わるだろう
仏教熟語に『拈華微笑』がある
以心伝心の事、人には第六感がある
これだけの事じゃねぇかなぁ・・・って思えてきます。
》どこの葬儀屋より本気で家族目線を貫き通す
》全ての料金が、圧倒的低料金は間違いありません
》しかし内容は数倍の葬儀屋より豪華です
》但しお客様扱いは一切してくれません
》でも口は出すけど金出さずの親戚から守ってくれる
》商売でなく、葬儀支援だと家族自身が実感する
改めて書き進めてみると『俺でも信者になるわ』って
思えるような事をしてきたようです。
設立前から、この路線で走れた最大の理由は葬儀屋が
したい訳でなく、葬儀屋を忌み嫌ってたからだと思う。
僕の中で『葬儀屋でなく、葬儀支援をしてるんだ』と
自分が納得したい為の言動をしてきたんだと思う。
それが一番楽だったのも間違いない。
仕方なく嫌々始めたのが功を奏したのかもしれない。
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