思えば、蒸発してた父親逝去の一報から、ある日突然
始まり、あれよあれよと10年の月日が流れました。

ど素人だから見えた事のほうが多く、葬儀の仕事では
ありますが、葬儀屋の自覚は無いまま、無借金を通し
10年間歩み、地域の中でも、また全国的にも多少の
知名度もでき、会員数も増え続けてきた。

葬儀の世界で学び、叱咤され、踏ん張って生きてきた
人達から見れば、突然現れた素人が超低料金をうたい
新聞、テレビで放送されるのを疎ましくもあり、羨ま
しくもあった事でしょう。

今にして思えば、今回の岐路以上に悩んで不思議では
ない事のほうが多かったはずと感じます。
葬儀もできない、式場施設もない、葬儀用具すらない。
また食えない状況で、あんしん館の開設をしたのです。
毎月の家賃、諸経費を考えると、毎月いくつの施行が
必要なのか、突然食えることなどあるのか・・・
冷静に考えれば無謀、暴走としか思えない。

しかし悩む事もなく、あんしん館を開設し、散骨場を
取得、永代供養墓を建立し、墓誌彫りが高いと思えば
全ての道具と軽自動車を揃え、2年間自社で彫らせて
15.000円で可能と分かれば、その金額で施行できる
石屋さんに任せ、全ての道具は処分する。

勿論、軽トラックも含め、揃えた道具類の原価は吸収
できませんが、低料金で会員さんには施行できます。

あんしんサポート設立以来、本格的に悩んだ事はなく
全て答えが決まっているかの如く、突き進んできた。
改めて考えると、この10年間が奇跡に近いと感じる。

正直なところ利益や経営は無視して、利用者の中でも
弱者に焦点を絞ってきたのが実情です。
それでも経営として成り立ってきたのは不思議ですが、
少し先の時代の要求に適合してたって事なのでしょう。

その根底にある第一として、、
「誰もが死後費用の心配をせずに済む世の中にしたい」

もうひとつ忌み嫌ってきた葬儀の仕事なだけに、自分の
中で葬儀支援として活動する事で、普通の葬儀屋でない
と思い込みたかったんだと思う。
今になってみれば、どっちでも良いことなのですが・・

今になって迷いが生じるのは『執着』なんだと思う。
当初は駄目なら辞めれば良いとしか思って無かったし、
上手くいくとさえ思って無かったのが本音でした。

ところが、経営が成り立ち、会員数が増えると執着が
芽生えてきたんじゃないかな。

・数千の会員さんの安心を守り通したい執着
・結果として千明も僕も生活できる事への執着

これらの執着は当然湧き出るものですが、この執着が
メガネを曇らせる原因になってはいけません。

幸い我々の心の中に儲けたい感覚が無いのが救いです。
この欲は隠しきれないからです。

さて、直葬系葬儀が、この先増えるのは間違いありま
せんが、その増加率と当方施行数のバランスが取れな
ければ経営の存続ができません。
多分毎月20件ほどが分岐点になると思われます。

直葬系だけに薄利ですが、施行数は増えても肉体的な
負担は軽減されるのが唯一の救いです。
直葬系葬儀での月に20件は大変ではないでしょう。
結構ゆとりがあるようにも感じます。
問題は年間240施行の依頼が確保できるかです。

と、色々書いてきましたが、なら現状から変化をさせ、
少し安い葬儀屋になるつもりはあるのかって事です。

この感覚が全くないのです。
人の役に立って初めて、葬儀支援している意味がある。
それが葬儀を仕事にしている自分なりの伝家の宝刀、、
大義名分なんでしょう。

こうして書き出してみると、僕の中に岐路がない・・・
今走っている一本道しか見当たらないのです。
先人がいませんから、先に道はありません。

これからも食えるのか、食えなくなるのかも分らない。
でも設立から10年間、なんの迷いもなく走ってきた。
これしか無いと歩を進めてきた。
だから最後まで我が道を歩み続けてみようと思う。

それともうひとつ、年末年始に掛けて体調を崩したのは
所帯を持ってから初めてでした。

今日、野球の星野仙一さん逝去とネットで見ました。
70年の人生だったようです。
明日は我が身、、、人の人生は誰も分らない。

健康で働ける事の有難さを改めて教えられた年末年始。
夜中だろうが、明け方だろうが、休みなど無かろうが、
日々元気で仕事が出来て、人に喜ばれ、感謝されるなら
これ以上に幸せな時はないんだろう・・・そう感じる。



60代になって、嫌、60代だからこそ、そんな経験が
できる事にも感謝できるようになったのだろう。

葬儀関連の支援こそ、我が使命と信じ歩み続けたい。
2030年まで、、もう迷ってる時間はない・・・



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