2017年も大晦日ですね。
今年は最後の最後で寝込む事になりました。
それも2人揃って風邪でしたが、大晦日は何とか回復
いつものように正月を迎えられそうです。
この辺りも実にツキがあると感じます。
今日はモールのスーパー開店前に駐車場に入って待ち
毎年恒例おせちの生物を買ってきました。
いつものように、おせち作りを始めます。
今回は去年より量を減らして、一度で食べきれる量が
一番いいと分りました。、、おそっ
昨日のブログを書きながらひとつ分りました。
『終活』は全国的に認知された熟語だし、僕も数年前
には講演会の題材にした事もあるのですが、当時から
何となく好きな言葉じゃないと思ってた理由が前回の
ブログで判明しました。
全ての人では無いでしょうが『終活』をされる目的の
中には死への恐怖を拭い去る為の手段となっている。
そんな人達が少なからず存在しているからだと思う。
言葉は悪いけど新手の新興宗教の洗脳にもさも似たり、
「こうすれば楽に終幕が迎えられますよ」みたいなね。
最も僕の知り合いで僕より遥かに若いのに「今自分が
死んだらスタンド生花が、どれくらい供えられるかな
って思うんですよね」って言った人がいます。
聞いた時は『馬鹿かこいつ』って思っただけでしたが、
今思えば死ぬと思ってないからできる話しなんです。
若い奴の戯言なんですね。
今行われている終活は文字中心です。
若い頃ラブレターを書いた経験のある人は分ると思う
のですが、文字はどうしても大袈裟になります。
ポジティブな発想でも、ネガティブな発想でも膨らむ
のが文字の特徴です。
問題は『現実の本音がどれだけ含まれるか』です。
講演会の中で書いて貰った事もありますが、本音では
なく周囲への世間体、自身の中にある常識が中心です。
その最大の課題は知識の無さの為、役に立ちません。
でも個々で、あんしん館に来て相談すると10分間は
下準備に使いますが、その後は本音で話してくれます。
1. 葬儀の何が分らないかさえ、分らない事
2. 葬儀にある決まりを教えて欲しいと思っている事
(決まり何て無いと聞くと驚く)
3. 実際は余裕が無くどうしたら良いかと思ってる事
4. 対象者によっては、誰もしないから・・・が本音
5. 対象者より、対象者の兄弟への心配
これらは今の『終活ノート』では解決できません。
更に決まりがあると思ってる人達は、僕がいつも言う
くだらねぇマナーの餌食になるだけです。
何度も言うけど評論家に葬儀はできません。
葬儀屋のサラリーマンでは、貴方の本音に沿えません。
ハッキリ言ってますが、葬儀に決まりはないのです。
(死後24時間火葬不可、火葬には要許可証だけです)
時々自身が末期癌での相談もあって、希望通りにする
のが当然に思えますが、生きてる時は黙ってたくせに
終幕後に口を出す親族が多いのに驚きます。
本気で終活したいなら、次のことを考えてください
1. 自分の意志を貫いてくれる人が数名必要です。
(配偶者、子供など近い人で他人では無理です)
2. 相談できるのは自分に合う葬儀が施行できる人
(実現できなきゃ絵に描いた餅でしかありません)
3. 意志を貫いてくれる人達と一緒に相談します
4. 自分達の思いが達成できる葬儀屋探しが最難関
(財布に余裕のある人は何処の葬儀屋でも問題ない)
5. 問題は費用的な余裕の無い方です。
(そんな葬儀社が無いからです)
余裕の無い家族の本音『終活』に必須条件・・・
本音で利用できる葬儀屋を探す事が大前提です。
こんな葬儀屋が見つかれば分りますが、終幕後に対し
安心できると、終幕までの全ての『終活』が変化する。
(ここすんげーー大事です)
それが本当の意味の『終活』なんだと思う。
その家族にとって本当に必要な『終活』をし『施行』
して『後悔の少ない』『納得の葬儀』を提供し続ける。
どうもそれが、今の僕の使命なんだろうなって感じる。
わざわざ来館してから入会して貰ってるのは、上記の
ような理由があるからなのです。
うちの入会は、他の葬儀屋の入会と意味合いが違う。
本音で話し、心底安心するか、我が家には合わないと
分るかのどちらかです。
利用者の紹介で来館した人は半信半疑で来館されます。
でも帰りには、明確になってあんしん館を後にします。
2018年は・・・
『葬儀支援をより前面に出していこうと思います』
『余裕の無い家族が本音相談できる機会を作り出す』
『今以上に遣り甲斐の持てる日々を過ごすこと』
あとあれだな・・・・
2017年までの反省は、過去に何回も書いてるけど、
ちーとも達成できない事『利用者への謙虚さ』だな
別に普段から威張ってる訳じゃないんですよ。
そんな風に言われた事もありません。
どちらかと言えば「優しさが顔に出てますよね」って
言われる事のほうが多いです。
でも昔からそうですが、謙虚さには欠けると思う。
僕に謙虚さが伴ったら鬼に金棒って言われた程です。
ジジイになれば自然に・・・なんて思ってましたけど、
どうもそうではないようです。
ただ反面では、その強さで親戚から家族を守っている
のも事実ですから一概に悪いとは言えませんけど、、
僕の理想としては
『弱い人には何処までも謙虚であれ』
『自我、無理を押し付ける人には誰であろうと凛とし』
『金や地位で人を見ない』
『葬儀が済んだ家族の顔が晴れた笑顔になれる』
きっと、これが僕の理想とする人間像なんだと思う。
やっぱ、、金や名誉って出てこねぇなぁ・・・
それでは皆さん・・・
2018年が皆さんにも、我々にも良い年でありますように
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