高熱でも出さないと中々休む気になれない。

団塊の世代ではなけど昭和育ちの感覚かもな。

今回改めて自覚した事から書いてみます。

》高熱に対し思ってたより強いかもしれない
(39.8度でうなされる事もボーッともしなかった)
》38.5度を超えると、何もしたくなくなる
》ずっと寝てるのは思ってたより大変、、腰がいてぇ

今回あった時間の中で考えたこと

『全てに対し普通で居られる事の幸せ』かなぁ

夜中や明け方に起こされる事も含め、眠いのは当然だと
しても元気に起きられる事の幸せ・・・

僕は世話になるより、世話するほうが体質的には向いてる。

動き回れば疲れるし、腹も減るし、休みたくもなるけど
そんな当たり前が、当たり前にできる幸せ・・・

高級料理の事なんて一切頭に浮かんでこない・・・
お金のことも出て来ない・・・
出て来るのは普通に動き回れる心身の健康だけ・・・

子供が生まれる前の親は『無事に元気で生れてさえくれ
たら』としか考えないと思うけど、まさにそれだけ。

いつもは当たり前に思っている事ばかりだけど、それが
幸せなんだと、気付かせてくれるのが病気みたいです。

40度近い熱でも人は『死』を意識しません。
明日は、明後日は元気になるかなって考えてます。

ブログに書いた事あったかなぁ・・・
僕が30代の頃、美容室に来てくれたお客さんの中でも
割と気安く話せる60才の女性がいました。
当時の僕には60才はお婆ちゃんにしか見えません。
またお婆ちゃん、お爺ちゃんに異性への欲求なんて絶対
無いと思い込んでた事もあって、気軽に聞きました。

「ところでさぁ60才って、まだ現役の女なの?」

僕の中にあった回答は「何言ってんの、色恋沙汰なんて
とうの昔に卒業しちゃったわよ」「だよねぇ」って事で
お笑いして話しが終わると思っていたら、予想外の答え
「オーナーなに言ってるの失礼ね、今も20才と一緒よ」

このとき初めて60才の女性も現役の女だと知った。
今年の夏、同級生の親の葬儀後、数人で飯を食いに行く
機会があった時、一人の同級生が言いました。

「昔は会えば女の話だったけど、60才を機にピタッと
その手の話しは出なくなったな、但し男だけな」と笑い
その場の男性全員が頷いていました。
今思えば女性は、いまだ女をしてるって事なのでしょう。

男は肉体的に厳しくなっただけの事で、精神的には今も
女好きはいくらでもいます。

多分・・・・
人は生まれる前から願われた事は、死ぬまで変わらずに
持ち続け、一人前の思考ができるようになってからは、
20代でも、40代でも、、、それが70代であっても
変わらないような気がしています。

『どれだけ楽しく生きられるか』
全てはこの原点からの発想に思えてならない・・・・

僕のお婆ちゃんもそうでしたが、時々早く死にたいって
くちにはしますが、病気になれば医者が往診にきました。
今思えば、本当に死にたいなら医者は呼ばない・・・

これを葬儀と擦り合わせてみると、家族の遺体を豪華に
送ったり、花で飾ったりするのは2つのポイントかな。

1. 最大の事をしてあげた世間体と自己満足への演出
2. 明日は我が身への自己納得するシュミレーション

いずれも家族の気持ちであって、対象者自身は死ぬ気は
無いし、死後に何かして欲しいとは思ってない。
あるとすれば死への恐怖から来るものだけじゃないかな。

『死んで騒ぐな、騒ぐなら生きてる時に騒げ』

この持論は病床でも変わりませんでした。
明日に夢があるなら、一日も早く少しでも元気になる事
だろうし、明日に夢が持てない状況なら、今できる事を
ひとつでも多くさせてあげる事・・・我慢はいらない。
小さな節約もいらない・・・大切なのは今。。だから




お、そうだ寝込んでひとつ良い事がありました。

無理なく減量ができた・・・・(>_<)


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