「一週間のご無沙汰でした」
司会の玉置宏さんの名フレーズ(ロッテ歌のアルバム)
、、って書いた本人さえ驚くほど、ふるっ・・・(>_<)
僕のブログが一週間空くのは珍しいですが、その理由が
まさに『鬼のかく乱』でした。
生れて初めてインフルエンザにかかりました。
初めは喉が痛くて『あれー、、風邪ひくかな』って感じ
でしたが、その晩9度8分、ありゃもう少しで40度に
届くな、20代前半に40度近い熱を出したのが最後だ
と思うけど、昔みたいにボーッとして夢うつつって事も
なく、熱が上がると汗をびっしょりかいて熱下がる・・
みたいな事もなく、いつの間にか寝てた。
朝起きて熱を測ると8度3分『おー1.5度下がったぁ』
嫌々ながら医者に行くと、世間ではお爺ちゃんと絶対に
呼ばれる医師がいて、診察室で最初の質問がなんと・・
「風邪ですか?」
「分かりません」と答える。
『風邪の診断が自分で出来るなら医者は要らねぇし』
『でもまぁ普通の人は「風邪です」って言うのかもな』
『この数日の容態とか聞くんじゃねぇの?』
と思った僕は、この数日間の事を大まかに話した。
すると「検査受けてみる?」・・・「ん?なんの?」
「インフルエンザ10分間、よしやろう」
「やるなら最初の疑問符いらねぇだろ・・・」
鼻の奥をコチョコチョした棒みたいな物を容器に入れ
「10分間待って」
「何処でですか」
「何処でも良いよ」
診察室が出た所の椅子に座って待った。
10分後診察室でベルが鳴ると呼ばれた
中に入ると検査紙のような物を出されて言われる
「線何本」
「2本」
「A型だね。B型に近いけど、、」
『B型は線が3本なのに何処が近いわけ・・・』
「先生、インフルエンザの時はどうしてれば良いの?」
「隔離だね。隔離」
『隔離?って人にうつるって事だよな・・・そっかぁ』
タミフル錠を処方され支払いで待ってると、お爺ちゃん
先生がおぼつかない足元で会計室に来て言う。
「武井さん、タミフルは帰ったらすぐに飲んでね」
「飲むとグッと下がるけど、続けないとガーッて上がる」
「最後までしっかり飲めば問題ない」
何となく長嶋茂雄さんの現役時代のような人だと感じた。
仕事柄医師は毎度のように見ているが色んな人がいる。
それにしても一日中寝ているのは腰が痛くてかなわん。
でも35才の頃人生で一度だけ緊急入院、丸一日は両腕
点滴し続けでしたが、トイレも行かずで医者に言われた。
「武井さん入院して良かったね。これだけ点滴しても」
「トイレに行かないのは尋常じゃない」
「脱水症で死んでたと思うよ」
「それに、こんなに我慢しちゃ駄目だよ」
『何処まで我慢すりゃ良いか分んねぇーし・・・』
結局、検査、検査で1ヶ月も入院させられたが、静かに
入院してたのは5日間だつたかな、、3日間かなでした。
検査の日は内容によって曜日が決まっているようです。
朝検温、朝食、点滴するとやる事がない・・・
食事は3か目からで『重湯』『1分粥』『3分粥』と
続いて翌日は『5分粥』『8分粥』『全粥』翌日からが
ようやく『普通の飯』だったと思います。
が、退屈過ぎるので医師の巡回で言います。
「先生、どうしても僕じゃないと分らない仕事があって」
「ちょこっと行ってきますが、何時までに戻れば良い?」
「もう何処も痛くないし、大丈夫でしょ」
「ん~、、じゃあ就寝時間の午後9時には戻ってくだい」
「はぃ、分りました」(いつもよりずっと良いお返事)
すぐに自宅に電話、仕事着のスーツ一式を持ってきてと
伝え到着すると着替えて仕事に行きました。
当時はサラリーマン役員でもあり、人が作った会社では
ありますが代表で、ちょうどブライダルフェアをやって
いたので、どんな事をしているのか見たいと思ってた。
結局、行けば元々は営業マンですから、接客は慣れてる
訳で、作業は全くできませんが、話しだけならベテラン
みたいでしたから閉館まで付き合いました。
確か土日の2日間で、2日目は朝から参戦です。
病院の朝は年寄りの朝のようで、やたら早いから朝食して
点滴しても、ホテルのブランダルフェアは普通間に合う。
結局、これがきっかけでサラリーマン役員を1年掛けて
退社し前職の社長業に進んだのです。
人生とは、何が転機になるか分らない・・・
今回、2日目から腰が痛くて寝られねぇし、時間だけは
沢山あるから、普段考えられない事まで考えられた。
そっかぁ、この時間を取れって事なのかもな・・・
と自身が病気で寝ている時、普段元気な時の考え方との
違いがあるのか、無いのか考えてみろって事かな・・・
そんな休養日をとってました。
40度近い熱の時はなーんも考えられませんでしたが、38度
台に下がってから何を考えてたかは次回に書きます。
勿論、年内予定できれば30日にね。
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