10月末の前橋は晴れですが、冬が近づいているのが分る
くらい、今朝は寒いと思う自分がいました。
ちと気は早いけど、あと2ヶ月で正月なんですね。
年を増すごとに一年が早くなる感じです。

うちの千明は、つい先日おせちを食べたばかりなのに・・・
なんて言いますが、ちょっと言い過ぎだよね。

湯かん納棺の1時間、早い段階で伝えることがあります。

「これからの1時間、その後も含め葬儀の全てが終了する
まで、その都度、自分が故人だったらと考えてみて欲しい、
これからの人生で葬儀を迎えた時に役に立つはずです」

10年間葬儀をして分かった事のひとつに、現状の葬儀は
親戚、葬儀社、宗教者から経済的な無理をさせられてきた
家族が沢山いるということです。

日本人の持つ良さでもあり、欠点でもある『穏便に・・・』
という感覚がそうさせるのだと思う。
また先祖を敬う気質を利用した霊感商法にも弱いと感じる。

その最大原因は『知識の無さ』ですが、葬儀を学べと言わ
れても実際は難しいでしょう。
だから家族や親戚の葬儀があったら、その機会を利用して
葬儀の実態を知り、葬儀を考え、葬儀を学ぶ時だと思えば
葬儀の数日間は非常に有意義なものになるでしょう。

その根底に持って欲しいのが『自分だったら』なのです。
自分が故人だったらして欲しい事・・・ 
自分ならして欲しくない事・・・
その辺りを自分の感覚で葬儀の現場から学んでください。

葬儀の事を聞くのは多くの場合、葬儀社の人か親戚ですが、
どちらにも致命的な問題があります。 それは・・・
家族の財布事情は全く考慮しないことです。
葬儀社の人間は、売上げをあげたい一心で言うだけですし、
親戚や隣保などは自分の感覚や自分の中の常識で言います。

そこが問題なのです。
葬儀社の人間が言う常識は、誘導商法でしかありません。
宗教者の言う常識は、ほぼ霊感商法ですし、僕の知る限り
厚い信仰心を持った日本人は、わずかしかいません。
親戚や隣保などは論外と言えるほどで知識はありません。
ただの感情論と持論の押し付けだけです。

だから僕に相談を・・・なんて事は言いません。
その意味では、僕も同じだと思って良いでしょう。 ^-^;


まず自分自身の正直な考え方を、自分自身が知ることです。
その上で、自分が信頼に足ると思える人物に相談してみる。

すると相手が何を基準にものを言ってるか分ります。

あなたや家族の事を第一に考えてくれる方なら信頼できる
でしょうし、供養だ、普通は、常識だと言う人達は決して
あなたの事を最優先で考えてくれない人だと分ります。

僕の言葉の中に『家族目線』があります。
家族目線とは、自分達家族の目線で見て、考えて、決めろ
という事なのです。

『自分だったら』という考え方は、葬儀だけでなく日々の
生活、あらゆる場面で利用できます。

また家族の最後の時の判断にも使うべきでしょう。

ここで質問です。
『こうなったら生きていたくない基準を考えてください』

この質問はある意味きわどい質問です。
気分を慨される方がいらっしゃるかもしれません。
伝えたい事の例え話とご了承いただけたらと思います

1》自分で自分の事ができなくなったらと思う人
2》意思の疎通が出来なくなったらと思う人
3》痴呆になったらと思う人
4》全く動けなくなったらと思う人
5》心臓が止まるまで生きたいと思う人

もっとあるでしょうが、人それぞれだと理解して欲しい。
これは家族であっても個々で違って当然なのです。
だから各々が自分の思いを、元気な時に伝え合うことです。



自分は5》だったとして、対象者である家族は1》だった
場合、何も話し合ってなければ5》の流れになります。
5》の人を1》の家族が看れば逆のパターンです。

多くの人は入院、施設、自宅等いずれにしても最後の時を
判断するのは、対象者自身でなく家族なのです。

だとしたら基本となるのは『自分だったら』と考えた事を
家族間で伝え合うことです。


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