今回は家族目線の際たる部分であり、かなり高度な話術を
必要とするお話しです。
10月葬儀をした家族の話しでもあります。
入会されたのは今から2年半前、対象者は母親で脳梗塞で
倒れ、生死の境を彷徨った時、兄妹で入会にきました。
その後2年半は何の連絡もなく、突然、母親逝去の一報を
くれたのです。
当初入院していた病院でなく、何年も入院できる病院名を
電話で聞かされた千明の報告を受けた時、ある想定をした。
倒れた当初から、或いは途中から意識もなく意思の疎通も
なく生きてたと言うより、生かされてきたのでは?・・・
というものです。
葬儀については、まだ何も決めてないと聞き、とりあえず
指定された病院へのお迎え、あんしん館に移動して家族を
待って打ち合わせに入ります。
葬儀内容が決まっておらず、まだ安置ができません。
予想通り倒れた当初から意識はなく、意識の無いまま2年
半を生かされてきたようでした。
当初に入院した病院、転院した病院どちらも入院費は高い
と言われている病院ですし、父親、母親の年齢からしても
それほどの年金が出ているとは思えません。
としたら自分達家族の生活とは別に、多少なりとも入院や
医療費を負担してきたであろう予測もできます。
何となくお金が無いのは分ってきた頃、親戚の叔母さん達
夫婦の4名が入ってきた。
『こりゃまずいな・・・横やりが入る可能性大だな』
そこで来られた叔母さん達には、待合所で待って頂き別室
へと移動して葬儀の打合せを続ける。
まずは親戚の叔母さん達が何か言う人達か、言わない人か
確認すると、ちょっと厄介だと言うので、どう対応するか
考えならが打ち合わせを進めました。
最終的にはお金がなく、69.000円の直葬もすぐに支払い
できない状態だと分ると直葬で納棺安置の準備をする。
無いものは考えても仕方ありません。
今できる事をする以外方法はないはずです。
式場の祭壇前に棺を置いての安置ですから、見た目は豪華
っぽい印象になります。
うちの祭壇には、A2サイズ電照の十三仏、キラキラ回転
灯篭一対、バブル灯篭一対、四華花一対、釈迦の小仏像、
回転灯篭二対、白球灯篭一対、造花盛籠三対、砂糖盛一対
この全てが揃った三段の祭壇が舞台の上にあり、祭壇幕も
六枚、更に数個のスポットが当たっています。
小さな式場としては中々豪華です。
祭壇前に納棺安置が済むと、末後の水をとり、線香を供え
終わると、入会した当時から今までの流れを説明する。
今回の直葬は僕から勧めた事と、理由も説明するが、その
中で老人4人の笑いをとりながら話しを進め、皆さん方も
同じで、死んで騒ぐより今の人生を楽しむべきと伝えると
「そりゃ そうだよね」と笑顔で納得し、賛同してくれた。
一連の流れ、話しのもって行きようを文字では説明できな
いですが、いくつかのポイントはあります。
・まず入院中に散々費用の負担をしてきたこと
・残る家族の生活を守ることが、故人を心配させいない事
・皆さんも葬儀費用を残すなら、夫婦で動けるうちに使い
温泉に行ったり、好きな物を食べたりして、今の人生を
楽しむ事に使うべきだと提案する
人は親戚の家の事なら、お金が掛っても仕方ないよねって
感覚ですが、自分の家の事になればシビアになります。
その辺の感覚と笑いを混ぜて、和やかな雰囲気の中で話せ
れば納得してくれる親戚もいるわけです。
今回はその典型のような状況でした。
我々の言う家族目線とは、こんな事も含まれるのです。
相談に来てくれた家族の生活を守る事、その範囲で可能な
葬儀を提案し、親戚にも納得して貰うことこそが、家族を
唯一守れることに繋がります。
棺の中に故人の洋服や好きな甘物をいれますが、その他に
先に逝った叔母さん達の弟でもある父親へのお土産として
『タバコ』と『180mlの酒』をお土産として入れました。
この辺りが最後の念押しです。
火葬は朝一を利用、火葬中は無料の休憩所で待ち、拾骨後
みんなで和食のファミレスを予約して行きました。
11時頃に斎場を出られたので、そのまま食事です。
これなら一人1.000円で済みます。
本来我々の関知する部分ではありませんが、乗りかかった
船と言いますか・・・最後まで面倒みる事が多いです。
ランチメニューをコピーして前日の昼間に渡しました。
余裕の無い家族目線を貫くとは、こんな流れになります。
我々が得るのは、お迎えから始まり、骨壺に納まるまでの
全てを行った報酬が、原材料費全て込みの69.000円+税
ですから、利益はいくらでもありません。
利益だけを考えたら、馬鹿らしいかもしれません。
でも、これで又一軒の葬儀支援ができました。
この家族も含め、他人から親切にされた、助けられた事を
忘れることなく自分達に余裕ができた時、手を差し延べる
側になってくれたら、お互い様の日本になってくれるかも
しれないと思うのです。
そう、僕もいつ助けて貰う側になるか分らないのです。
その意味では、明日は我が身・・・って思ってます。
これが坊ちゃんで育ち、思春期に稼業が倒産したことから
得た教訓なのかもしれません。
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