昨日のブログで霊安室にも平気でいられると、慣れとは凄い
ものだと書きましたが、一昨日の『家族が希望する葬儀』の
懇談会で、我々が食える事、我々の健康が優先と心配をして
くれる家族の言葉を少し書きました。

実にありがたい事だし、その通りで何一つ間違っていません。
お誘いして「あいよぉ」って快諾してくださる方々ですから、
尚のこと我々の身体や生活も心配してくれるのです。

人は自分がある程度満たされていなければ、他人のことなど
考えることはできません。 
満足とは人それぞれ違いますから、基準はありませんが最低
限として普通に食える・・・というのはあると思う。

ただ、自分の健康や食えるという条件、間違えていませんが、
この感覚が自分で自分の首を締める結果になることもある。
むしろ、そんな現実のほうが多いんじゃないかな。

皆さんの周囲で商売している店は沢山あるでしょう。
その中に今は暇だけど、昔は繁盛していた店はありませんか?
店構えも同じ、経営者も同じ、なのに今では閑古鳥・・・

でも、この逆、同じ経営者、同じ店構えで昔は暇だったけど
今は繁盛店ってのは殆どないと思う。
これは単純明快、経営者能力に欠けている人だからです。
今までの自分を全て捨てられない限り繁盛などしません。

さて、前段の繁盛してた店が、閑古鳥が鳴くようになるって
何故だと思います? これが慣れの怖さです。

僕が経験してきた慣れの一部をご紹介します。

『お客様を待たせて当然になる』
美容室の経営指導をしていたサラリーマンから、35才の時
起業して美容業の経営者になり、僕自身初めて作った自分の
美容室は、平均待ち時間が2時間という繁盛店になりました。

こんな風に書くととんでもない客数と思われますが、実際は
思っているほど多くはありません。 少なくはないけど・・・
ヘアー相談から、最後のアドバイスまで全てを丁寧に行う。
これが基本姿勢だったからです。

ところが、毎日2時間待たせるのが当たり前になってくると、
スタッフが待たせ慣れの感覚になります。
いつも来ておられる常連さん達は、ある程度慣れていますが、
評判を聞いて初来店された方は少し驚くはずです。

ある日の事、予約も無しに初めて来られた方に、受付の子が
「少し待ちますが」と言ったようです。
お客様は「あ、いいですよ」と待合所で待ってたのです。
ときたま店に行った僕の目に入ったのは、1時間待ったこの
お客様の姿でした。 
明らかにイライラ感が出ていますが、スタッフ達は気にする
こともなく、動き回っています。

店長に聞きます。
「あの人イライラしているけど、常連さんなの? いつから
待ってるの?」

「新規の方で、少し待ちますって、1時間くらいですかね」

「すぐに通して出来る事からせい!」

と叱りつけ対応させました。
理由は閉店後の終礼で全員に言い渡しました。

・スタッフは2時間待ちが普通で待たせる事に慣れている
・新規の方の「少し待つ」は最大でも30分程度なはずだ
・これが続くと客数は間違いなく減り続ける
・自分が新規の店に行って普通の感覚で待てる時間を考えろ

このケースで僕が受付をしたら・・・
・2時間ほど待つ事になる旨を伝え、予約の有無を再確認
・店内で待っても構わないが、用事があるなら済ませて貰う
・予約は入れておき、作業に入れる30分位前に電話連絡する

慣れている人達は自分から予約をして来られますが、新規の
方には、せめてこの程度の配慮は欲しいものです。

これを先日の懇談会の、我々が食える事、我々の健康を優先
させる事に置き換えるということです。



『我々が食える』
ぶっちゃけ、葬儀の依頼数など全く計算できません。
その結果が、1件葬儀すると2ヶ月食えるに繋がるのです。
ようするに、いつ来るか分らない依頼なら、依頼が入った時
に、ふんだくれるだけふんだくるって事です。

仮に今15件の依頼と散骨、その他で食えるとします。
しかし健康面で考えると10件の施行が最適だとした場合。

15件分の料金を10件に振り分けないと食えません。
仮に10万円の葬儀とすれば、1件15万円に値上げすれば
総額150万円だから同じです。

しかし10万円の葬儀と、15万円の葬儀で依頼数が同じに
入るでしょうか・・・普通に考えて減るはずです。

結局は食えない道に自ら進む結果となるわけです。
極端な書き方をしましたが、金であれ、健康であれ、自分を
優先させる思考は、慣れるとより強く大きなものになる。
すると利用者との感覚の溝が深くなり、利用者から見放され
ついには何をしても食えなくなる・・・

これが商売としての慣れの怖い部分です。
僕の場合、この他にもうひとつあります。
元々が葬儀屋がしたい訳でなく、支援が優先ということです。

支援と商売は根本的に相反するものです。
支援の中に商売感覚を強く入れると、普通の商売になります。
支援という文字は、ただのお飾りでしかなくなる。
そこまでして葬儀屋をしたいと思いませんし、いまだもって
特別葬儀屋が好きなわけではないのです。
僕が葬儀をする限り、支援の枠を出る意味がないのです。

この分部を読むと、分かり難いかもしれませんが、この感覚
だからこそ、葬儀支援ができるし、葬儀を家族目線で見続け
られるのです。 一般の葬儀屋は葬儀屋という商売ですから、
家族目線になれるはずがないのです。
あくまで商法としての家族目線という言葉に過ぎません。

この言葉、分かる人には分かるし、分らない人には分らない
だろうと思いますが、それで構いません。

慣れとは必ずしも良いものばかりでなく、時に自分の首さえ
真綿のように締める感覚でもあるものです。

今回の最後として・・・
富裕層は、どこの葬儀屋でも喜んで引き受けてくれますし、
ある程度余裕のある家族も、少し探せば葬儀屋はあります。
しかし余裕の無い家族の葬儀を、引き受けてくれる葬儀社は
ありません。 そんな家族の選択肢として唯一あるのが・・・
NPOあんしんサポート葬儀支援センターなのです。

第一に・・・家族の為に可能な限り料金を抑える
すると・・・利益が少ないから薄利多売するしかない
けっか・・・沢山の施行をすると体力的に無理がある

まぁ、どう考えても簡単に答えはでません。
ただ僕の経験上で言うと、答えの出ない事も、とことん突き
詰めると時に『妙案』が生れる事があります。
妙案がでるか、でないか分かりませんが、今は答えを出す時
ではないと・・・僕の心が言っています。

今は保守に走らず、今まで通り突き進む姿勢を貫きます。
それが、家族にとっても、僕らにとっても最善の選択であると
信じています。



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