自分では感じて無かったが、他人に言わせると僕の人生は、
波瀾万丈と思われるようです。
辞書で調べると『極めて変化の激しい人生』のようです。
僕自身は他の人生を知りませんから、特別な感じはしない。
5才まで祖父母に育てられ、母親は5才で知り、家族との
生活は15才倒産まで、その後も色々ありましたが、その
程度なら結構多くの人がいるでしょう。
だから特別な事では無いと今も思っています。
それより、自由のある日本で生まれ育ったのが大きい。
自由があれば、何処の国でも良いのですが・・・
僕の家族は15才の時に崩壊しましたが、見方を変えれば
自由気ままになったとも言えます。
僕が育った家は商売をしており、金銭的な余裕も有ったと
思いますが、縛り付けも結構ありました。
姉が高校生で、彼らしき相手が出来たと分かった翌日には、
相手の素性は全て調査されているのを知り驚きました。
考えてみると『○○の息子』という言葉が、つきまとって
いたように感じます。
勿論、金銭的な余裕のある家庭で何不自由なく過ごすのも
幸せのひとつでしょうが、家族全員が集まるのは一週間に
1度あればいいほうで、個々バラバラが普通の家族です。
15才の倒産以降、お金も無いし、住む場所も狭い借家に
なったし、世間の目が気になる時期もあり、親戚も決して
いい対応で無くなったりもして、嫌な事も沢山あったけど
完全な自由になったのもこの時だったと思う。
これをどう見るか・・・でしょうかね。
『自分の将来に於いて先の事は一切何も無くなる』
A. 自分の将来は何ひとつ無く、お先真っ暗
B. 決められた道が無ければ、自分の好きに歩める
A.とB. の状況は全く同じ、考え方、見方の違いだけです。
どちらの感覚で捉えるかで大きな違いが出るように思う。
根が馬鹿なのでしょうか、立ち直りは早かったですね。
母、姉、妹の会話を聞いていると、自分の立ち直りという
か開き直りが早かったのは、すぐに分かりました。
家族の中で僕だけ、祖父母との生活を選択した事で、否応
なく親離れしたし、自立の早道を選択したようです。
22才で結婚したのも、その辺りがあるのかもです。
途中、家族の存在が足かせと感じた時期もあったり、倒産
してなければ、行きたい大学にも行けたろうし、なりたい
職業にも就けたかも・・何て思った時期だってありました。
したい仕事って何だと思います。
いくつかありましたが、性格も含め最終的には救急医療の
現場医師でした。
どう考えても、楽な仕事じゃないですね。
今よりもっと大変な仕事なのは間違いありません。
もし、成っていたら今と同じ、老いや体力との狭間だね。
と色々ありましたが、足かせと感じた家族に支えられたり、
坊ちゃんでなく、社会に出たから得られた経験も大きい。
決して褒められたり、立派な半生ではありませんが、その
中でもいくつかのターニングポイントがあります。
実際はもっとあるのでしょうが、自覚できる分岐点は・・・
15才の稼業が倒産した時、
22才の結婚した時、
35才の起業した時、
52才の父親逝去の一報が届いた時、
57才あんしん館の設置の時、
これらの全ては最終的に自分で決断したものばかりです。
それが、どんな人生であろうと、全て自分の責任です。
例えば15才の稼業倒産、似たような経験をしている人は
沢山いますが、親の責任をくちにする人達がいます。
確かに倒産についての責任はその通りですが、子供である
自分の人生については自分自身の責任だと思う。
生まれた家が貧乏なら親が悪いの?
生まれた国が戦争してたら親が悪いの?
生まれた時は裸、何も無いところから始まるのが人生だし
何十年も生きてれば、それは全て自分の責任です。
親がいてくれる幸せってあると思う・・・
戦争の無い国に生まれた幸せもある・・・
自由のある国に生まれた幸せもある・・・
健全な心身に生まれた幸せだってある・・・
自分と家族の自由に舵取りできる人生は素晴らしい。
折角の人生、波瀾万丈なら尚更、人生を楽しめるじゃん。
一度の人生、思いっきり謳歌して楽しむのが最大の目的と
思えば、今を悔いて生きるより、楽しむほうがお利口さん。
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