今日の前橋は台風一過、真夏が戻ったような暑さです。
階下では千明が相談している画像が映っています。

我々の現状も含め詳細は初めて文章にしました。
自分の文章ではありますが、なるほどなぁ、と思う部分もあったり
するし、再認識する部分もあったりで文字にして良かったと思う。
でも今迄書いてきた言葉でも厳密には違うものがあります。
我々が低料金に拘った対象の人達です。

人の性格は様々です。
小さな事で騒ぎ立てる人もいれば、じっと耐えて踏ん張る人もいる。
いつも独居老人を始めとするって書くけど、今回その辺りを正確に
書いてみます。

正確に言うと独居老人が筆頭にいる訳ではありません。
嘘ではありませんが、伝わり易いからの言葉です。

独居でも、家族でも、その点はあまり関係ない。
それと生活保護の人達でもない。

世の中にはじっと耐えて踏ん張ってる人達がいる。

先祖からの土地だけは守りたいと、少額年金だけで踏ん張る老人。
年老いて自由に動けない親、認知で目を離せない親の面倒を看乍ら、
フルタイムで働けず、親の基礎年金とアルバイトで踏ん張ってる人。
障害のある子供を抱え、将来の不安を抱え何とか踏ん張ってる人達。
これらが重複した中で頑張ってる人達もいます。

助けて欲しいと行政に駆け込めば良いと思うけど、それが出来ない
人もいるし、意を決して駆け込んだら担当者の冷たい言葉の応酬、、
何度も通う気力を無くす人だっている。

こんな人達の共通点は世間が狭い・・・
僕の偏見かもしれないけど、ひっそり生きてる気がしちゃう。
同居の家族は強い絆だけど、別居の家族は近寄りもしない・・・

生活保護にしても堂々と主張する人達のほうが、通り易いのが現実、
言ったもん勝ちの制度と感じる事も少なくない。
でも制度は強い人の為にあるものでなく、全国民平等なはず。

生活保護の制度は必要だと思う。
頑張りたくても、頑張れない人はたくさんいる。
老若男女問わず、肉体的、精神的な病と闘っている人だっている。
そんな人達の生活支援は必要だし、先進国としてあるべきとも思う。

でも制度認証の在り方には大いに疑問がある。
例えるなら、言語明瞭、意味不明な政治家の発言によく似ている。
認証の可否は担当者の裁量と性格によって決まるのか?って思う。
まずは明確な決まりと、更に個々の対象者を審査する機関が必要で
機械的な決まりだけでは駄目だろう。

生活保護も受けず頑張ってる人達にとって、現行の葬儀費用と遺骨
供養や処理の負担は、普通の人が思うより遥かに大きいです。
その時を心配しながら日々の生活、精神的な負担も大きい。

これから生活保護受給者は、大きく右肩上がりするのは明確です。
すると、真面目に頑張るのは馬鹿らしいと、便乗申請者のような人
達も増えることになる。 結局、頑張っている人達はより大変にな
っても恩恵はない・・けど行政は助けてくれない。

昨日も、今日も、入会相談に来た人がくちにする。
「これでホッとしました」
この言葉、我々が聞くより行政の担当者が聞くべき言葉だろう。
だけど現実は赤字行政が多く、お迎えから火葬まで無料などあえて
やろうとする市長など居ないのだろう。

なんでかなぁ・・・税金が使えないなら、個々から徴収すれば良い。
10年間、20年間で6万円、7万円を徴収すれば良いだけのこと。
10年なら月に590円、20年なら月に290円の徴収で済む。
これなら払える人は圧倒的多数に増えるんじゃないかな。
といつも思うけど、そんな事をする市長はいないらしい。

だから最小限の利益で葬儀をしてきたわけです。
超低料金の葬儀を続けるのは、じっと耐えて踏ん張る家族の為・・・
正確に言うと、これが理由です。

どんな人間も、誰かに助けられながら生きている。
人に助けられるのだから、自分が助ける時もあるのは当たり前の事、
それは家族を見れば分かると思う。
お互いが助け合って生きる家族の輪を少し広げてみるだけの話。

助けられた人が、いつか人を助ける側に回れば良い・・・
助けてきた人が老いたら、周囲が助ければ良い・・・
みんなが利己主義に成ったら集団は持続しない。
それは家庭でも、会社でも、社会でも同じこと。

僕も稼業倒産から色んな人達に助けられてきた。
正確には生まれた瞬間から助けられてきた。
その有難さを知ったのが、倒産以降なだけだろう。

我々がしている事は、生活のほんの1ページでしかない。
でも世の中には、その1ページが無数に存在している。
みんな自分の持つ1ページで人を助けたり、時に助けられるのが、
当たり前の世の中になってくれたら良い。

有名になったり、金持ちになると人はハイエナのように寄ってくる。
落ち込むと蜘蛛の子を散らすように人は離れる。
それを常識とせず、助け合える事を当たり前と思える世の中になる。
そんな時代を世界そのものが迎えているように思う。

人は本当に困ったときに助けてくれた人は忘れないものです。
個が優先され、何かすればお節介と思われる時代ではありますが、
遠い昔の日本にあった「お醤油貸してくれる」と簡単に言える時代、
ちょっとお節介が必要な時代、それが超高齢化も含めた今の日本に
必要な事かなぁ・・・なんてね。

では、今回の10数話の最後に一言・・・
こんな事を書くと良い人みたいに言われる・・・けど好きじゃない。
いい人を演じる気もないし、面倒だし、迷惑でしかない。
僕は煩悩だらけの凡人のおっさんだし、それが素で一番楽でいい。



もし僕の事をいい人だと思っちゃったら思い出して欲しい。
僕は嫌な人の依頼は受けない
お客様なんて思ったこともない
頭を下げることもない
丁寧な言葉で話し続けることもない
なんでか・・・人の為でなく、自己満足でしているだけだから。
そうです。 好きでやってる事だから、嫌になれば止める。
いい人の虚像を創られるのは好きじゃない。 俺は俺でいい・・・


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