今回は折角の機会ですから、葬儀を始めて10年目の我が真意も知り
たくて思いつくままを綴りました。
根本的な部分では、NPO法人設立認証で県庁に行った10年前の事
『武井さん、なんでNPO法人にされるのですか?』
「あんた達行政がやらないからだよ」
『はぃ? どういう意味ですか?』
「人がこの世に生を受ければ100%終幕を迎える」
「最近では子供を生め増やせって行政が言ってるでしょ?」
「なら終幕まで責任もつのが道理ってもんでしょ」
「何も葬儀をしろとは言わないけど」
「焼骨までは行政が責任をもって行う」
「その後葬儀をする。しないは家族で決めてくだい」
「これが本来あるべき行政の姿だと思うけど違う?」
「もっと言えば、市、県、国への税金をしっかり払ってきた人達なら」
「長年ありがとうございました。それくらいして当然だと思わない?」
『なるほど・・・』
この感覚は変って無いし、生まれたら誰でも死を迎えるのは自然の摂
理、高額な費用が掛かるのが変だという意識にも変化は無かった。
というか、10年前は、ど素人だったけど、沢山の経験を積んで尚更
その思いは強くなり、現行葬儀の在り方に違和感を持ち始め、いまは
より具体的にこうあるべきと考えている事も分かった。
何がここまで強い思いにさせているのか、走り続けているのか正直な
ところ自分でも分かりません。
ただ何度も書いてるように、人の為にして無い事は確かだと思う。
多分、自己満足なのだろうが、自分でも自分に驚いている部分がある。
悪人ではないと思うが、人助けをするような奴だったか?とも思う。
どちらかと言えば、我関せずだし、面倒臭いと思う人間だと思う。
突然降りだした雷雨の中、杖をついてやっと歩いてるお婆ちゃんでも
いれば車に乗せて、自宅に送ってあげた経験ならあるが、その程度の
親切なら誰でもすることだろう。
ぶっちゃけ、今は自分でも変な奴だなぁ・・・と思ったりもする。
が、それが今の自分なのだろうから、自分に正直に生きていきたい。
書いて分かったのは、我々の活動は三角形のようだ。
『利用者の本音』を頂点とし『施行数の確保』と『体力気力』が底辺。
『利用者の本音』とは、誰でも利用できる低料金、高品質の葬儀である
『施行数の確保』とは、低利益の為、経営が成立する施行数が必要
『体力気力』とは、我々の体力気力の限界を超えると崩壊する
三角形のどの部分に無理があっても、長期的な継続は難しそうだけど
後を引き継ぐ千明と、入会して死後費用については安堵している会員
さん達の事を考えると、事業存続のゴールデンバランス(比率)を見
つけ出す事が最大の課題のようです。
さらに三角形が乗る台座(葬儀社)は、個人経営者が老齢化し現場の
業務が難しくなっても、新たな個人経営者で存続させる事が、今まで
通り会員さんの安心を守れる事に繋がりそうだと分りました。
現行の葬儀については、葬儀内容の否定では無いのも分かりました。
僕が否定しているのは『高額な費用』という部分のようです。
世の中、数千万円の車に乗る人もいますから、どんなに高額な葬儀でも、
どんなに豪華な葬儀でも、その点には全く異論はないのです。
ただ日本に住む全ての人に、それが出来る訳ではない。
毎日の生活が、その日暮らしに近い人はいくらでもいるのです。
その人も年老いて、終幕を迎える。 論外という訳にいかないのです。
この大前提と末端の人達にも選択肢があるべきと考えているようだ。
『第一』
無理の無い料金設定と、誰が見ても違和感の無い内容の葬儀が必要
『第二』
何故か葬儀だけ外野が喧しい、家族の好きにさせれば良いだろ
『第三』
そんな葬儀が存在して無かったから、創り続けて実践している
『第四』
全国全県の人達全てが利用できるのが最も望ましい
『第五』
せめて団塊の世代の9割がいなくなる2040年まで続いて欲しい
どうも、こんな感じの考え方をしているんだと思う。
世の中には僕では、とても真似のできない被災地支援をされてる人も
相当数いらっしゃいます。 だとすれば、これから間違いなく問題に
なる死後費用を含め、葬儀の在り方に気づいている人もいるはずです。
葬儀の仕事の経験者でも、未経験者でも全く問題はありません。
僕自身が葬儀屋で学んだ事すらないのですから。
また僕の考え方が全て正しいとも思っていません。
誰の考え方かが重要なのでなく、余裕の無い人達が無理せず行えて、
良かった、いい葬儀だったと思え、尚且つ遺骨や、その後についても
支援できる体制ができて、そこで仕事をする人達がちゃんと食えれば
完全解決するのだから、皆が腹を割って相談すれば良いことです。
ただ休みがどうの、勤務時間が、有給がどうの、給料がどうのって
言う人には絶対にできない仕事であり、サラリーマン感覚では無理
やっぱ個人経営者だろうし、一番良いのは夫婦ですることだと思う
遺体を扱うから生理的に駄目な人もいるし、その場の感情だけが先行
しても難しい事は以前経験しています。
都内で僕の講演会を組んでくれた方がいて、講演会の後で盛り上がり
全国から10数名の希望で研修会に集まった人達もいましたが、結局
誰一人として開業できた人はいませんでした。
当時は我々自体が始めたばかりで、先が見えない時でもありましたが、
綺麗事ばかりでなく、現実のリスクも検討する必要はあります。
この時と大きく違うのは、我々の得たノウハウとスキルでしょう。
同じ土俵に上がって活動する人達に、僕の中にあるスキルが役に立つ
ならいくらでも提供します。
正直なところ、千明や息子に教えて思うのは、そう簡単ではない事、
本気で頑張らないと、自分のものにならない事は良く分りました。
でも・・・だからこそ身につけたら大きな武器になるはずです。
簡単に身に付く程度のものなら誰でもそうなれますからね。
ただ過去の経験から、同じ土俵で活動する人がそう沢山はいない。
『お化けは出たら驚けば良い』の心境で待っています。
葬儀施行については、超多忙な事もあれば、暇な時もあるから増員が
簡単でなく、安易な増員は料金に跳ね返るのが嫌なようです。
暫くは親戚筋にも葬儀屋がいるので、手伝って貰えば何とかなる。
『利用者の本音』と『施行数の確保』と『体力気力』は、いつか会員
さん達に問いかける時がくるでしょう。
我々だけで悩むより、会員自身の声を聞くほうが早いし間違いない。
あとは将来に向けての体制ができるまで、元気で仕事を続けることが、
当面は一番の目標って事になるでしょう。
今回ブログに書いたのは、普段なら僕の中で考えていることです。
武井という人間は、こんな考え方をして結論を出しているわけです。
皆さんの中で、経営でも、人生でも、職場でも、家庭でも、何らかの
壁に突き当たっている方は、文章化してみると良いですよ。
ブログに書く必要はなく、手書きでも、パソコンの中でも構いません。
誰かに見せる訳ではないから、思いつくままを書きなぐってみる。
それを一度読んだら、そのまま放置して翌日読み返します。
すると、ん? あれ?って感じる部分があれば修整し、また放置する。
これを何度も、何度も繰返すと我が真意らしきものが見えてきます。
それを信頼に足る人に相談してみるのも良いでしょう。
あ、そうだ、何年も前の事ですが、同級生が商売を始めたいからって
相談に来てくれました。 僕の事務所でじっくり話を聞きました。
ところが、聞けば聞くほど、ポイントがずれていると感じました。
経営者の感覚というより、サラリーマンと話しているようでした。
その時の彼では失敗する確率が高過ぎると思い、今は開業を思い留ま
りもう少し検討して、経営者感覚を磨いたほうが良いと伝えましたが、
結局突き進んで開店したのです。
当時の彼は別の同級生に、僕に相談に行ったらやる気を無くすような
事を言われて、本気で考えてくれなかったと言ったそうです。
それから数年は営業したようですが、今は店の影も形もありません。
結局、借金だけを背負い、今は何をしているのかさえ知りません。
あなたが信頼に足ると思う人が、自分と違う意見を言ってくれるのは、
本気で考えてくれているからです。
信頼に足る人物なら、それなりの実績もあるはずです。
その人がGOサインを出すまでは、とことん話し合って貰うべきです。
どうでもいい相手なら「良いんじゃない、頑張れよ」で済むのです。
本気で苦言を呈してくれる人なら、自分から離れてはいけません。
最後に・・・
零細企業だから出来る事ってあるんですね。
経営者の多くは会社を大きくしたいと思うようですが、必ずしもそう
とは限らないと改めて感じました。
どんな商売にも隙間があったり、対象外の人達もいます。
大手が手を出さない対象者、ブローカーが手を出せない対象者ならば
我々の独壇場とも言えるわけです。
わざわざ大手と同じ土俵に上がる必要があるでしょうか・・・
自分が勝てる土俵で勝負するのも経営者の力量のうちです。
最後の後半だけは、商売人としての視点で書いてみました。
次回、番外編、我々が目指したもの・・・です
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