『葬儀は家族が家族との別れを受入れる為の時間の事』であると思う。
また、葬儀は死して始まるものでなく、医師がサジを投げた瞬間から
始まると思っている。 医師がサジ投げるとは、もう治癒は出来ない
あとは終幕の時を待つ時間に入ったという事です。
もっと噛み砕いて言うと、人は生まれた瞬間から我が終幕に向かって
歩み、これを人生と呼び、70年、80年と人生を送った人の家族は
そう遠くない未来に家族との別れが来ると理解しているはずです。
ですから本当は数年間の葬儀期間があって良いとも思いますが、実際
には現実味が無いでしょうから、医師がサジを投げた時から葬儀とは
始まると思って貰えたら良いでしょう。
問題は家族の宗教観であり、宗教的な葬儀の考え方です。
信仰の厚い家族は、信仰の教えに従い葬儀をすれば良いでしょう。
しかし日本人の多くは、さして信仰心を持っておりません。
仏式葬儀で納棺師を行う際、時々列席者に宗教観を聞いてみる。
子供が生まれた時、初めに連れて行ったのは何処?
お包み着せて神社じゃない? 七五三も神社でしょ?
結婚式はどんな式だった? 教会式でウエディングドレス?
そして今行っている葬儀が仏式なのはどうして?
「何となく昔から葬儀は寺だから・・・」多少の違いはあっても内容
としては大差なく、60代の人達が分岐点に感じます。
お宮参り、七五三、結婚式については、自己満足の対象ですから特に
問題はありませんし、どうするかも家族の自由です。
特別な信仰が無くても大震災時には、暴動もなく、皆で助け合える。
普段は個々バラバラだけど、何かあればひとつにまとまれる。
それが日本人の究極に置かれた時の姿であり、それで充分だと思う。
各地で起きる自然災害の度に、日本人である事を誇りに思う。
自分ち意見の違う人を殺して英雄と称する宗教より絶対に良い。
さして信仰心は無いけど、助け合って生きられるのが日本人だと思う。
なら信仰でないのに何故葬儀の時だけ、儀式扱いをするのか疑問です。
もっと言えば儀式でも構いませんが、そこに多額の費用が掛かる事が
最大の問題であり、霊感商法まがいが通用している事が問題です。
自分に終幕が近づいてたら、と考えてみてください。
・やり残した事があれば片づけておきたい
・行きたい場所があるなら行っておきたい
・逢いたい人がいるなら逢っておきたい
・食べたいものがあるなら食べておきたい・・・色々あるでしょう。
でも、とどのつまりは『終幕までの日々を心穏やかに過ごしたい』
という結論に行きつきませんか?
残る家族は希望の全てを叶えてあげられないかもしれません。
財布事情があるかもしれません。
でも心穏やかに過ごさせてあげる努力はできるでしょう。
無理はしなくて良い、できる範囲で良いから、最後の孝行をする。
それは親や祖父母に限らず、時に子供や孫への孝行かもしれません。
そして、その孝行の日々こそが葬儀ではないでしょうか。
最後まで意思の疎通ができる対象者ならば「ありがとう」の言葉を
残してくれたら最高の葬儀が出来たのだと思う。
息を引き取ったあとは、見守ってきた家族で、静かに、温かく送れば
いいことで、騒ぐ必要はありません。
同居せず普段の行き来もない家族や、親戚縁者には葬儀後に伝え
れば良いことだし、家族の負担になる人を呼ぶ必要はない。
しかし他人であっても故人と親交の深い人達は同席すべきでしょう。
故人との思い出を語り、故人とのエピソードを語り、故人を偲ぶのが
最後の時である火葬の時間、とにかく温かく送ってあげて欲しい。
病人を抱え、世話をしてきた家族が考えるべきは、残る家族の生活を
最優先することです。 きっと故人もそれを望んでいることでしょう。
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葬儀とは、家族が家族との別れを受入れる時間の事であり、対象者が
心穏やかに過ごしてくれたら、最高の葬儀ができたと思って欲しい。
逝去後は静かに、温かく送ること、そして残る家族が、毎日を元気な
笑顔で過ごす姿を見せ続ける事こそが、最高の供養です
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そう考えると、今の葬儀は何のために・・・誰のためにしているのか
分らないのが本当のところです。
逝去後に騒ぎ、供養だ、何だとできる限りの事をさせて、死者を金の
種にして儲けているのが、葬儀屋であり、宗教者です。
でも現行の葬儀の形態を家族がしたいのならそれで良いし、している
事に異論を唱えるつもりはありません。
ただ葬儀費用は異常と思えるほど高額であり、宗教者への謝礼は布施
という枠を超えていると思うのが多くの一般人でしょう。
当然と思っているのは葬儀屋と宗教者だけでしょう。
初めて聞く考え方でしょうが、今回は特に何度も読み返して欲しい。
その場面、場面を家族の顔と併せて、画像として頭に思い描けたら、
『なるほど、言われてみれば確かに』と理解する人も多いでしょう。
現行葬儀をしたい人はすれば良い、でも違う感覚を持つ家族は自分達
家族が納得する葬儀をすれば良いし、それを当然の事と認める世の中
であれば全く問題はありません。
何故そうなってないか。
皆と一緒なら安心し、世間体を気にする日本人気質もあるでしょう。
またメディアの扱い方の影響もあると思う。
しかし、我々はもっと冷静にことの本質を見極める必要があります。
その意味では評論家も質が悪く、自己主張の押し付けを堂々とする。
自身が葬儀施行しているなら別ですが、無責任な言葉だけです。
時々ブログにも書きますが、葬儀の服装マナーについても疑問です。
周囲が不快な感情を持つ服装なら、確かに問題ですが、全員が普通の
私服を着ていたら、黒でいるほうが不自然です。
マナーとは周囲に嫌な思いをさせない事であり、マナーの基準を決め
るのは評論家でなく家族だと思う。
家族がいつも通りの自分達で送ってあげたいと思うなら、普段着での
列席となるだろうし、黒服で送ってあげたいと思えば、黒服での列席
って事なんだろうと思うけどなぁ・・・
ようは日本人が抵抗なく、違和感なく行えて、宗教を問わずに故人を
温かく送れる葬儀の形式を創り出せばいい話です。
実際は、ほぼ出来上がっていますから、あとは実行するだけです。
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