昨日はレンタル盆だなの引き上げで、朝から夕方まで走り回って
きましたが、盆だなを作って回った数日前は我々が急いでいたし、
家族も盆を迎える前で落ち着かなかったのもあってか、じゃまを
しては悪いと思ってくれたのでしょう。 殆ど話しませんでした。
ところが昨日は、盆も終わってホッとしたのか、葬儀後はあまり
家族の前に顔を出さず、殆ど千明が対応しているからでしょうか、
片づけている盆だなの近くに座って話しをする家族が多かった。
『うちの葬儀、盆法要、盆だなの話』と
『事前に話した親戚などへの対応策の話』と
『親戚から聞かされた葬儀の話』の話題ばかりでした。
自分の家だけでなく、親戚でも新盆を迎えている人って結構いる
みたいで、親戚との葬儀談の報告をしたいようでした。
お陰でうちの葬儀の考え方、実際の葬儀内容や料金設定と一般の
葬儀社との違いや、家族の受け止め方も確認できました。
同じように葬儀をした親戚の話しを聞いていると、内容だったり、
料金だったり、考え方だったり、我々の対応を知っている家族は、
あんしんサポートの葬儀が普通と思っていたけど、余りの違いに
その報告なのでしょう。
家族の話しに共通しているのが観念、概念の押し付けです。
事前相談や逝去直後、代表に言われた通り『くちは出すけど金出
さず』の親戚もいたけど、対処ができたというのも多いです。
親戚、特に故人の兄弟姉妹は、お金は出さないけど個々の中にあ
る葬儀の『固定観念』を押し付けるのを実感された家族は、腹の
中では『ほんとだぁ』と思ったそうです。
また一般葬儀社で葬儀した親戚は、担当者からこれが普通ですと
言われるし、一般的には、、普通は、、と『既成概念』ばかりを
押し付けるし、聞かされた葬儀費用は、あんしんサポートの数倍
高い金額を聞かされて、ホッとしたそうです。
また新盆法要を菩提寺で行った家族は、僕の予想より高くて最低
3万円が今の相場なのでしょうか? 高い寺は5万円だったそう
で、あんしんサポート同様の合同法要だったそうです。
会員さんは盆法要パンフレットも見ていますから、あんしん館の
法要5千円ってとんでもなく安いと分かったと言ってました。
これらの話しで注意というか、誤解して欲しくない事があります。
昔からある故人への考え方、墓参り、等々先祖に対する考え方や、
故人への思いを否定する気は全くありません。
問題なのは、それらの全てに高額な費用が掛かる時代になってる
現実なのです。 もっと言えば、寺の布施が数万円、葬儀費用が
20万円程度なら何も言う気はありません。
ところが、僧侶は布施として最低でも30万円~を要求するのが
現実だし、葬儀が済むと49日法要5万円の布施、新盆法要では
3万円、さらに檀家として毎年数万円の費用を請求され、自分の
住まいを新築したり、修繕するにも『寄付を要求する』こんなの
誰が聞いても納得などできるはずがない。
何故なら、その決定に一般檀家の意思など存在していません。
よって寄付でなく全て寺の身勝手な請求であり要求なのです。
また葬儀社は供養、供養と水戸黄門の印籠のように振りかざして、
少しでも高い葬儀にして、少しでも給料に反映させたい、会社に
良く思われたいと霊感商法としか思えない事を堂々と言い、気の
良い家族、気の弱い家族には強気で責めの営業をする。
更に親戚までもが、家族生活を無視して高額葬儀を当然のように
言い、それができないのは家族愛が無いからと言わんばかりです。
自分の愛の無さを棚に上げ、全ての負担を家族に押し付ける。
先の時代背景も踏まえれば、今の葬儀が続くことはあり得ない。
当然、理解もできませんから、僕と同じように考える人達の為に
先頭に立って苦言を呈し、警鐘を鳴らし続けているのです。
またこれに加え、無責任にマナーを口にする人達を酷評するのは、
葬儀を行う家族への愛が全く感じられないからです。
これが常識と上から目線で好き勝手書くだけ・・・僕から見ると
この人達の言動のほうがマナー違反に思えてなりません。
例えば黒の礼服で言えば、それを決めるのは家族なはずです。
家族がどんな葬儀を望んでいるかによって違って良いはずです。
タキシード着用のパーティーもあれば、ジーパンOKのパーティー
だってあるのが当たり前なのです。
葬儀も同様、家族がどんな風に送りたいか、どんな葬儀なら満足
できるかは個々の家族で違っていいはずです。
それを『葬儀』という括りで縛りつけるほうが不自然です。
ちなみに僕は、葬儀とは家族で行うものであり、宗教儀式も不要
だし、墓も不要と思っている人間ですが、どうも家族も同じ考え
方をしているみたいです。よって黒礼服を着る必要はありません。
》かしこまる事より、いつもの家族で温かく送るほうが大事です
》故人である家族が礼服を着て欲しいと思っているでしょうか?
》黒の礼服、小物、靴を持ってない人だっているでしょう。
その為に買う必要があるでしょうか。
》形式ばかりを気にし、肝心の家族は気がついたら骨になってた
そんな葬儀が本当に必要でしょうか・・・
僕には根本的な何かが間違っているとしか思えません。
だからと言って黒の礼服を否定しているのではありません。
そうしたい家族であれば、そうすれば良いし僕も黒の礼服を着て
会葬に行くでしょう。
でも僕と同じ感覚を持つ家族なら『普段着の葬儀』でも全く問題
ないと考えますが、それを許さない概念を砕く必要があります。
極端に言えば土葬は簡単ではありませんから『火葬』だけはする
けど、あとは全て自由な葬儀でも構わないのです。
盆だなを回収しながら聞かされた話しは、全て単純明快でした。
『現行葬儀への、あらゆる不満を語った親戚の話』
『同じように葬儀したから、同調してくれるはずと思った親戚』
『ところが、我が家は違って良かったけど親戚には言い難かった』
『改めて、あんしんサポートに入会して良かった』という話です。
それを僕に伝えたくて、回収日を待ってくれてたのでしょう。
現在100頁ほど書いた『医者がサジを投げたら読む本』ですが、
家族の話しを聞いていると、その前に『葬儀のあり方』のほうが
先のようです。 どちらも含まれた執筆も良さそうですね。
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