法人設立から9年、立ち上がりから10年の時が経った。
葬儀の『そ』の字も分からない、全くのど素人が弱者を中心に
葬儀支援を始めると言うのだから、周囲が驚くのも無理はない。
先日会った同級生からも「武井が葬儀の仕事なんて、どう考え
ても結びつかなかった」と言われたが、会う同級生からは全員
同じことを言われる・・・学生時代のイメージと極端に違うの
だろう事は、自分でも納得もできるほどです。
この仕事を始めて自分の本質を再認識することもできましたし、
自分でも知らなかった自分を知ることもできました。
再認識した性格・・・
》人の喜ぶ姿を見ると嬉しくなる性分であること
》何処か奉仕的な資質のあること
》夜行性であり、不規則な生活でも苦にならないこと
》仕事だけは真面目なこと
》普通の人より、ほんの少し先見性があること
》我慢の無い奴だし、ある意味、無鉄砲でもあること
今回分かった自分・・・
》自分が思ってたより欲が無かったこと(特に金銭欲)
》思ってたより意思が強いこと
》地雷を踏むと爆発する瞬間湯沸かし機のような部分を持つ
そして何より驚いたのは、今の仕事が天職だろうかと思えた事。
葬儀の仕事が天職なのか、葬儀支援が天職なのか、或いは葬儀
ではなく、弱者支援のような部分が天職なのか分かりませんが、
いずれにせよ、少なくとも美容業の社長より自分に適している
のは自分でも感じるほど確かです。
もしかしたら椅子に座って指示しているより、現場で動いてる
ほうが性に会ってるのかもしれません。
それと既成概念や固定概念が変だと思えば、実情に合う言動を
しちゃってから考える現実派であること。
さらに関心のある事については、実情の上に立った明確な哲学
というか持論があるようで、葬儀について言うと両親、祖父母、
先祖への思いは個々が心の中で行うべき事で、費用が掛かる事
については、今生きている人達の生活や人生が、何よりも一番
大事だという哲学を持っていたことです。
葬儀社の担当者は自分の収入を増やすことを目的として、誘導
商法、霊感商法を取り入れた商売をしているだけで、現実には
家族目線など商売上の言葉でしかありません。
宗教者の中には言ってる事と、実生活が大きく矛盾していると
しか思えないのに、本人が気付かないのか、僧侶が単なる職業
であると言ってるような言動の宗教者は実に多い、その最たる
部分が布施で、布施を払う家族の生活は貧しいのに、布施と称
して受け取る宗教者は贅沢に暮らす・・・
最近は寺が存続できない等の話題も多く出ますが、なら葬儀を
するだけでなく、他に収入を得られる努力はしたのか!?って
聞きたくなる・・・ 世の中の人達は収入が無いからと嘆いて
いるだけでは誰も助けてくれないのが常識なのです。
葬儀の事など全く考えた事も無い、ど素人の時代から9年後の
現在まで、全く変わることはありませんでした。
というより、その思いは10年前よりも強く明確になっている。
その理由もある程度分かる気がします。
1. 葬儀業界の中身や実態が分かったこと
2. 宗教界の裏側が見えてきたこと
3. 当初、業界からの横やりや意地悪が僕の闘志に火を付けた
4. 現行葬儀への疑問、葬儀とはなんぞやの思いが強くなる
旧態依然の家族事情を無視した葬儀の悪習を打開する為、会員
家族を守る為の防衛策として、数々の葬儀パターンを創り出し
実践し続けている事、そして何より、そんな我々の言動を支持
してくれる人達が増え続けている事が、より強い意志となって
いるようです。
『ぶれない』
あんしんサポート設立当初からの立ち位置、経営理念、対象者、
そして料金や内容が、ブレることなく、貫き続けるのは経営面
からも決して簡単ではありません。
貫くには分岐点を上回る利用者が必要だし、それを可能にする
会員数が必要であり、継続させるには再入会率が9割を超える
必要もあって、考えただけでも大変ですが、それが唯一の存続
できる条件だからこそ『ぶれない』で続ける事だと思います。
『折れない』
周囲の雑音、横やり、中傷は全て肥しにし、我々を必要とする
家族が存在する限り、経営が存続できる限り、より時代に適応
した支援を続ける気概を持ち続ける。 文字で書くのは簡単な
ことですが、日々の休みもなく、正月もなく、夜中でも起され
徹夜さえ辞さない日々を続けるという事なのです。
時に心が折れそうになる時だってある。 面倒になる事もある
のが本音、いつでも元気ハツラツなんて事はありません。
それでも踏ん張れる心の強さは会員さんへの責任感、使命感が
そうさせるのかもしれません。
『止まらない』
設立当初、5万円火葬支援パックの完成に全力を注いだ3年間
でしたが、完成する頃には『散骨場の取得』『低料金墓閉じ』
『低料金家族葬の実現』と新たな目標が見えていました。
ひとつ達成しても、次から次へと生まれる目標のほうが多い。
『止まらない』というより『止まれない』が正解ですかね。
この手の話しをすると、僕を特殊な人間だと錯覚される人達も
いますが、前から言ってるように僕は普通にいるおっさんだし、
凡人なのは自分が一番よく分かっています。
だから商売の原理原則を守って事業をしているわけで、僕から
見ると事業をしている多くの人達のほうが、凡人では難しいと
しか思えない商法の事業をしているとしか思えません。
その辺りの話し、実際は何度も書いていますが、人は切り口が
異なると理解できなくなるのと、何度も、何度も聞いて初めて
理解するのは、納棺師をしていると実に良く分かります。
4回同じ話しを聞いている家族に「何度も聞いてる話しだから、
今回は少し違う流れで湯かん納棺をしましょうか?」と聞くと
「いえ、覚えてないから同じ流れでお願いします」と言います。
それも今までは全ての家族が同じことを言うのです。
話すほうは、何度も聞いてる人に話しにくいのですが、それが
家族の希望ならと話しを始めます。 すると今まで聞いていた
人達が、より強く頷きながら聞いている事が多い・・・
何でだろうと思いましたが、故人の違い、故人への思いの違い
というのがあるようです。 真剣に聞きたい故人の時もあるし、
本音ではそれほどでも無い故人の時もあるって事でしょう。
次回は商売の原理原則、その辺りを再度書きたいと思います。
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