7月31日(月・友引)の前橋は真夏の日差しが戻って暑い。
ご安置はあるけど、支払い等は事前に済ませているようで、のん
びりした空気が流れています。
いつものようにクラシック四季を聞いて、コーヒーを飲みながら
何となくブログを書き始めて、ある事に気づきました。
執筆中の著書があったのをすっかり忘れていました。 たはっ。
確か100頁ほど書いたと思いますが、何を書いたのか正確には
覚えてないほど時間が空いてしまいました。
一度読み直してから、どうするか考えようと思います。
そう言えば、いつの間にか第二弾『葬儀とはなんぞや』も完売に
近い状態だと聞かされました。 勿論、増刷などしません。
以前も書きましたが、販売目的で執筆してる訳ではありません。
1. 会員さんが葬儀をする為に役立てればとの参考書感覚
2. 僕の後を継ぐ人達への創業者としてのメッセージ
これ以上でも、これ以下でもありません。
それは今書いているブログも全く同じことです。
著書はポイントを中心に書き出しているのに対し、ブログは日誌
感覚で日々起こったこと、日々の想いを書き綴っています。
だからでしょう。 かなりきつい内容も多くなりますが、日誌に
建前を書いても意味がありません。
武井という人間が、何を考え、何を想い、何に苦言を呈し、何を
目指していたか分かる事が指標になると考えるからです。
7ヶ月が終わる時点で現在安置されている方は実質8月とすると、
対前年と比べた施行数は全く同数なんだそうです。
今年は1月2月とバタバタした割に、3月と5月は落ち着いてて
6月7月で帳尻を合わせたような恰好になっているようです。
うちの場合、非会員さん依頼は何軒も受けていませんから、これ
以上増えると限界を超える月も出て、我々の健康に支障が出てく
る可能性もあるような気がするし、年々老化は進んでいるのです
から、一年間バタバタしながらちょうど良いのかもしれません。
身体さえもってくれたら・・・ですけどね。
先日、僕の目指している葬儀に近しい葬儀内容をアメリカで体験
された依頼者の話しをしましたが、この時期に、この話題・・・
これも何かの啓示かなぁ・・・なんて思っちゃうわけです。
なんでそう思うの? ですか?・・・ それはですね。
日本の葬儀は多くの皆さんが思い描くように、祭壇の前に僧侶が
座り、その後方に会葬者が座って読経を聞き、そのあと焼香する。
多分これが葬儀のイメージだろうと思います。
これを否定する気は全くありません。
でも、葬儀社への支払い、宗教者への布施が余りに高額なんだと
分かった時点から、家族が主役でなく、家族がホストになってる
今の葬儀・・・口は出すけど金は出さない疎遠だった親戚の存在
などなど・・・色々分かると何かが間違っていると思いました。
ただ現行葬儀とかけ離れた葬儀の提案となるのは明らかでした。
また団塊世代の死が増えるのは明白でしたから、葬儀社が増える
のも必然だし、当時の大手葬儀社がシェアを広げると、今以上に
高額な葬儀へと進むだけでなく、それが当然と考える人達が増え
る事で、低料金葬儀が市民権を得るのは、より困難になるだろう
ことはすぐに分かりました。
最初の著書にも書いたように思いますが「葬儀屋を始めませんか」
と言う千明に対し、初めは「葬儀屋なんて絶対嫌」と完全否定。
その後、色々話した責任を感じて葬儀の仕事に手を出すと決めて、
千明に勤務先の退社はいつかと訊ねると、1年後で良いですかと
言われた時「1年後からと考えるなら、葬儀屋を始めるのは諦め
たほうが良い」と言ったのは、この部分なのです。
新たな提唱をしても、葬儀という特殊な事だけに、簡単に浸透を
するとは思えないし、ある程度まで世間に広がるには10年間か、
それ以上掛かるかもしれない。 すると2030年のピークまで
10年間しかない事になるのが1点、、、更に大手葬儀社が力を
つけ葬儀は高額なんだと人が思い込んだら、もっと大変になる。
そう考えると、今からで間に合うのか・・・
ギリギリの段階での判断となるように思えたのです。
この部分を千明が読めば、多分『なるほどぉ、何となくは分って
きたと思っていたけど、これでようやく全て理解できました』と
でも言うんじゃないかな・・・
僕の予想より早いもの、予想より遅いものがあります。
予想より早かったのは『直葬』の広がりと市民権です。
全国、全県で直葬が急増した事で、例外としての葬儀形式だった
ものが、極当たり前にある葬儀の形態に変化したのは、裏を返せ
ばそれだけ余裕の無い家族が急増しているということなのです。
予想より遅いのは、あんしんサポートの存在と業務内容の周知で、
葬儀に無関心な人達から見れば、相変わらず知らない存在です。
毎月葬儀に来た人達から聞く言葉に「近くにこんな所があるのを
知らなかった」というのがある。
自分達が思っているほど、世間は関心が無いって事なんですね。
それでも直葬と呼ばれる火葬だけの葬儀が、全国的に当たり前の
感覚だと思われるようになったのは、非常に大きな一歩です。
徐々に切り崩すのでなく、一気に最下点にきたのが良かった。
病院や施設の支払いで、毎月大変な思いをしている家族にとって、
直葬で済ませられると、安堵した家族は相当数いるはずです。
って事は・・・我々が個々で別々の声をどんなに上げても、それ
ほどの大声になりませんが、全国全県の各地で同じ声を上げれば、
世間を動かすことも可能だってことです。
予定より3年ほど速く、次の段階に進めることになりそうです。
僕が目指してきた葬儀の形は、次の①と②です。
① 一銭も無くてもできる葬儀(弱者など余裕の無い家族対象)
行政が焼骨まで責任を持って行うか、国保の葬祭費だけで可能な
葬儀を創り出すこと
①に関して行政以外は、下記の通りほぼ完成したと思っています。
誰が見ても違和感の無い品質で、最低限必要な葬具だけをセット
して、搬送から骨壺に納まるまで完全追加不要の直葬パック設定
というのが第一目的でした。
追加不要の中には『時間帯』『搬送距離』『安置』も含みます。
県内全域となると厳しいですが、前橋市周辺は完全網羅してます。
①は最速で実現すべき内容であり最重要課題でした。
それは弱者対策が最優先事項であると考えてきたからです。
その考え方が『専用散骨場』を早い段階で所有し、散骨の難点が
分かる事になり『永代供養墓の所有』に繋がっているのです。
また少子化なら墓閉じは誰でも予測できる事ですから、墓閉じの
対応を早くから行った事で、低料金の設定が可能となりました。
更に低料金で宗教者の依頼、菩提寺の無い会員さん対象の盆法要、
各年忌法要、墓誌彫りと納骨なども全て低料金で設定しました。
これで葬儀だけでなく、後を引く仏事についても全て当方で引き
受けらるから、会員さんは安心できるでしょう。
いよいよ、②である『家族で送る温かい葬儀』の実現に向けての
歩み始める時がきたようです。 今回設定するテーマは・・・
》故人が家族と思える人達だけで送れる20名以下の葬儀
》どんな宗教でも、無宗教でも関係なく送れる葬儀
》形式より、気楽に温かく送ることが最優先
》悲しみより、良き思い出に残せる葬儀
》費用総額は15万円以内
この辺りがポイントになるでしょうか・・・
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