昨日は隣接市の火葬でしたが家族は同行せず、自宅で待っている
という珍しい流れでした。 その理由のひとつは、たった2人の
家族が火葬を待つにも40人も入れる部屋を有料で借りなければ
ならないし、借りれば掃除をしなければならない・・・
家族は拾骨に行くから、掃除要員が必要となり費用が掛かる。
結局、待機するだけで8千円も掛かる結果となると分かった事で
自宅で待っている事になりました。
我々は業者ですから、部屋を借りる必要はなく費用は掛りません。

火葬が済み、焼骨を持って自宅に行くと暫し話をしました。
すると、思わぬ話題が出たのです。 これが火葬にはいかず自宅
待機を選択された理由のひとつだと分りました。

つい先日、ご主人が若い頃ホームステイをした、アメリカ、アリ
ゾナ州の家で、お世話になったお父さんが亡くなったと知らせが
あり行ってきたのだそうです。

日本人ですから、黒の礼服を持って行ったそうですが、列席者は
全員カジュアルな服装で、教会に集まり、長男が父親の生い立ち
などを話し、プロジェクターで写真や動画も紹介、娘さんが独唱
したのは、アメージンググレース・・・
その後、場所をかえてスナック類を食べながら、談笑あり、父を
偲ぶ思い出話しありと過ごしたそうです。

帰って来たご主人の第一声「良い葬儀だったぁ」だそうです。
彼の言う良い葬儀とは『温かい』『本当に親しい人だけの集い』
という事のようです。

十数人ほどの集まりだったようですが、自分を『異母兄弟』だと
紹介してくれたと言ってました。 これはお母さんが違い父親は
同じという意味でなく、亡くなった父親にとって自分の息子だと
言ってくれているのです。
この気持ちが嬉しいじゃないですか、僕なら泣いちゃいそうです。

彼らがクリスチャンである為、遺体、遺骨に執着が薄い事もあり
ますが、日本の儀式的な部分は殆ど無かったようです。
今はアメリカも火葬が増えているようですが、火葬場に行く事も
なく後日、自宅に送られてくるそうです。
確かに、、日本でもクリスチャンは拾骨をしないし、遺骨に執着
していませんから、宗教的なものでしょう。

なら日本人はどうかと言えば、仏式が圧倒的多数ではありますが、
その多くは信仰からでなく、何となく・・・それが多いから・・・
葬儀は仏式じゃないの? ってところでしょう。
子供が生まれると神社に行き、七五三も神社、結婚式は教会式で、
亡くなると初めて寺・・・これが典型的な日本人なのです。

だから寺が宗教だ何だと言っても説得力がないし、なのに『布施』
だけは超信者のような額を請求するから、より檀家離れが進むと
いう悪循環に未だ気づかないのは、世間知らずとしか思えない。
この手の話しは、いくらしてもきりがないから止めておきます。

僕は常々『葬儀は家族で行うもの』と主張してきました。 僕の
言う家族とは戸籍の問題でなく、故人と家族のような付き合いの
あった人達ということです。 普段疎遠なら親戚も無用、義理の
列席などあり得ないとさえ思います。

呼ばれた側も面倒だし、家族も嬉しくはないはずです。 
なのに義理で行くのを良しとする日本の感覚が変です。 それが
仕事絡みで、後々の取引に支障が出ると言うなら、社葬のみそう
すれば良いでしょう。

そして『何より温かく送ること』だと言ってきました。
大きな葬儀で温かくなる事は絶対にありませんと断言します。
肝心の家族が挨拶や接待に追われるのが明白だからです。
自分達が送る為の葬儀が、ホストのように動き回るのが、どう考
えても僕には理解できません。
ただずっと行われてきた葬儀ですから、それを良しとする人達の
ほうが多いのは当然でしょうから、新たな選択肢が誕生すればい
いと思っています。

故人から見た家族のような人達だけが平服で集まり・・・
故人とお別れをして、火葬炉に入れ、拾骨までの時間は別室にて
故人の生い立ちや、故人を偲ぶ時間を過ごす・・・
拾骨が済んだら場所をかえて、遺骨を会場に安置し、家族全員で

『故人が久しぶりに家族を合せてくれた感謝と再会を喜び合う』
『故人と生前のエピソードを披露しあう』
『今日の日を忘れず思い出せるよう記念写真を撮り全員に配布』

豪華な料理など不要、手軽につまめ、腹の足しになる物、飲み物
など用意して好き勝手に食べたり、飲んだりして過ごす・・・



費用は葬儀屋さんの直葬料金+数万円で可能だろうと思う。
だから列席者は香典を包んでくる必要はないし、気が引けるなら
一人5.000円で充分だろう。 或いは食べ物を持ち寄るのも良い。

家族に金銭的な負担を減らし、列席する人も負担を少なくできて
温かく送れる葬儀・・・それが我々の目指す葬儀の在り方です。

葬儀社、宗教者を始めとした業者の為の葬儀、それが今の葬儀、、
それを良しとされる家族は、そうすれば良いだけの事・・・
でも、何か違うと思っておられる人達もいるでしょう。
僕の提案とは違う感覚の方もおられるでしょう。
そんな人達にも選択肢があってしかるべきだと思っている。
そのひとつが、僕らの目指す葬儀ですから、そこから更に多くの
選択肢が誕生すれば良いと思う。 そしていつか・・・

『我が家の葬儀』という考え方が当たり前になれば良いと思うし、
その先には『葬儀は金でなく、心で行うもの』と繋がってくれる
時代が来てくれたら、一石を投じた波紋に意味が生まれる。



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