『人は執着を捨てれば楽に生きられる』

以前書いたように偉人でもなく、立派な人の言葉でもない。
武井という人間が、突然の稼業倒産から波乱な時期の中、15才
の多感期を楽に生きる術として、実践してきた感覚を言葉にした
だけですから、書物から学んだ事でもなく、人に教わった事でも
なく自然の流れの中で培われたものです。

きっと多くの人が同じような言葉を書いているでしょうが、その
多くは机上の空論に近いもの・・・されど僕同様に実体験の中で
湧き出た感覚を記したものなら、妙薬ともなり得るでしょう。

執着を捨てるとは、言い換えれば『過去の自我』を捨てるって事
なんだろうと思う。 だけど普通に生活してる人にとって簡単な
事ではないだろう事は容易に予測できる。

僕の場合、反面教師としての母親の存在があったから、その姿を
見られたから執着を捨てる事ができたように思う。

それなりに商売をし、地域の中では誰もが知り羨む人も多かった
であろう稼業であり、事業の奥様として認知されていた人・・・
それが母親でしたから、どうしても過去の栄光に固守したくなる
のも分からなくはない・・・ 

しかし僕の姉妹は母親の話しに共感していましたが、その光景を
客観的に見てると、言葉は悪いけど哀れにさえ思えた。
倒産した事より、その結果を受入れられずに、過去の栄光を何度
となく口にして過去に浸る家族の姿・・・そのほうが問題に思え
たし、これでは未来が無いとさえ思えた。

ならどうすれば良い・・・ すぐに答えは出なかった・・・ 
分からなかった・・・ そのまま一週間ほどが過ぎたのだろうか、
学校に行くのも嫌だし、外に出れば大人達が僕のほうを見て内緒
話しをしているように感じた。

当時の僕としては頑張って、突っ張って学校に行く・・・すると
友人達は稼業倒産に関して一切言葉にせず、今まで通りに接して
くれた事で、僕も今まで通りに接する事ができたんだと思う。

そこでひとつの答えが出た。
それが『執着を捨てれば良い』だったように思うけど、当時の僕
にはこんな言葉はなく、感覚として有っただけでした。
自分の中に執着が無ければ、人は自然に対応してくれるもの・・・
しかし僕の中に執着があると、相手は自然に、今まで通りに発言
しても受ける自分が自然に受けられない・・・そこから様々な溝
らしきものが生まれるんだろう事を教えてくれたのが、母親でも
あるし姉妹でもあり、それを証明してくれたのが友人達だった。

その意味でも僕は非常に恵まれてたと思う。
その結果、卑屈にならず、父親を恨むこともなく、前を向けたの
だろうし、今の自分の礎を創れたのだろうとさえ感じる。

今日、こんな話しをしたのは、団塊世代の人達や我々年代の人が
これから生きる上で楽に生きられる術となり得るからです。

サラリーマンだった人なら管理職で、上辺だけでも尊敬されてる
ように接触してくれた人も多いでしょうし、生活に余裕もあった
でしょうし、家族もそれなりに接してくれたかもしれません。

ところが定年を迎え、退職すれば勤務先の人との接触は無くなり、
家族も今までのように敬ってくれなくなるかもしれない・・・
年金生活では余裕が無くなるかもしれません。

付き合いも変わるし、被服、食生活も変化するかもしれない。
全ての環境が変化しているのに、過去への執着が強いと自分だけ
変化できない・・・なんて事はよくある話、何処にでもある話。
執着を捨てられない人達の典型です。

僕みたいに家族が反面教師になってくれるのって稀でしょうから、
一番簡単なのは『今の自分を自分で口にする』って事です。

『今は年金暮らしだから、昔のような訳にいかないよ、あははっ』

『生活だけて精一杯だからさ、病気になるだけも心配だし、夫婦
一緒に逝かないからね。 どっちが先だとしても無理はしない事
って家族で決めてあるから、少し気が楽になったよ。あははっ』

こんな感じで、あっさり機会があったら人に伝える。
これを繰り返し実行していれば、いつか執着しなくなった自分が
いる事に気づけるでしょう。

一般生活の中では、これが一番楽に過ごせるはずです。
最近の葬儀で依頼者と話しをする度に強く感じていることです。

一番強く感じるのは『見栄』
次に感じるのは『無知』から来る『思い込み』
さらに将来の生活には『何とかなるだろう』の甘い感覚です。

個人的には自分達の生活を最優先する考え方を、第一とすべきと
強く感じます。 自分の人生、自分達家族の人生をより謳歌でき
るような生き方にしませんか? って強く言いたい人は多いです。
性格的に良い人が多いだけに、強く言いたい・・・
自分や家族でだけで無理なら、補佐してくる人、助けてくれる人、
本音の相談に乗ってくれる人を探しておきましょうよ。

良いですか・・・絶対に忘れないでください
『自分達の生活より大事な事なんて、何一つ無いんです』



人に迷惑を掛けず、自分、夫婦、家族の生活を守り、楽しむ事が
人生最大の目的であると、家族で話し合い、共有して欲しい。

但し、僕の場合で言うと『執着』と『無頓着』双方を貫いている
って感じなんだろうと思います。 でもそれは執着を捨てられる
術を得たからできる事でもあるんです。


『執着』と『無頓着』の共存・・・

次回はその辺りを書いてみたいと思います。



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