今日の前橋は超久しぶりに雨でしたが、午前11時には曇り空に
なってました。 一日ずっと降ってくれても良かったのですが、、

昨日はお陰様で全て終了するまで搬送依頼の電話もなく、さして
慌てる場面もなく、猛暑ではありましたが、流れは穏やかに3件
済ませられました。 やたら足はだるかったですけど・・・

本日の日曜日は、いつも電話の少ない曜日ですから、粉骨作業を
してのんびりする予定でしたが朝7時「搬送です」の電話でした。
午前9時30分あんしん館から近い施設へのお迎え、ご安置をし
今は穏やかな時間に戻っています。

本日の搬送は都内の方らしく、明日の火葬に親族が1名来られる
そうですが、最近このパターンが増えています。
施設長が家屋管理人として申請者になれるからでしょう。
施設長が来館し事前入会と、今回の方は入金されてたそうです。

群馬なら一部を除き火葬は無料だし、うちのぱっく60なら遺骨の
処理供養も全て完了できるから便利なんだと思う。

昨日火葬した3件でも1名は都内生まれ、都内育ちだと斎場まで
来られた家族が言ってましたけど・・・逝去は群馬県でした。
故人の配偶者のお爺ちゃんも来てくれましたが、一緒に来られた
息子さんが、高齢のお爺ちゃんの時は、どうしたら良いか心配だ
と言うので、今は表面だって記載してない『都民パック』を説明
すると再入会して帰られました。

10年前に予測した通り、直葬は右肩上がりで増え続けています。
良いの、悪いのと、ごちゃごちゃ言う人もいますが、理屈でなく
単純に『余裕がない・お金がない』ってことなんです。

こんな人達にとって死者を弔う倫理的な発言は、鋭利な刃物同様、
殺傷力のある武器にもなるのです。
能書きを言う前に、一人の人間としての思いやりを先に持つべき
であり、人の事が考えられない人が、モラル等を口にすべきでは
ないし、良い人ぶっても中身は『ろくなもんじゃねぇ!」
これが僕の感覚・・・言うだけなら簡単、言うならそれができる
ような事をすべきってね。

お金の無い癌患者に、超高額の妙薬があるって言うのは親切!?
自己満足の利己主義者であり、偽善者でしかない・・・
たとえ正論だとしても、常にそれが正しい訳ではない。
一般論としては正論であっても、個々には別の話しなのです。

医者は末期癌だからと正直に伝える事が必ずしも正しい訳でなく
患者個々の精神的な強さ、性格、色々な条件を加味して対応する
のが良医なんだと思う。

医者と言えば一昨日の深夜、午前2時前だったかな・・・
NHKでプロフェッショナルという番組に目が留まり見てました。
子供の肝臓移植を専門としている外科医のようでしたが、すごい、
医者として生きるべく生まれてきた人・・・ 
この人・・・本物のプロフェッショナルだと思えました。

「やるのではない、やりきる」

これが信念という事でしたが、この言葉の真意は非常に重いです。
『やりきる』とは、全ての可能性に於いて、妥協せずやりきると
いうことなのだろうと思いますし、全ての記録を残し役立てると
いう事でもあるでしょう。 一切の妥協をせず・・・
更に凄いと思ったのは、そこに謙虚さを兼ね備えておられる。
51才と画面に出てたと思いますが、我々とは生きている土俵が
違う・・・次元が違うと感じた方であり番組でした。

この医師の家族は我慢の連続でしょうし、奥さんは放っておかれ
てるばずです・・・結婚されていれば・・・ですが。
人がひとつの事に集中するとは、他の部分ではマイナスになると
いう事でもあるのです。 僕とは次元が違い過ぎて失礼になると
思いますが、この部分は我が身とダブって思えました。
勿論、番組内では全く触れられてない部分です。

久しぶりに尊敬できる方の存在を知りましたし、人としての器も
勉強させて頂けました。 



僕程度の人間でも、僕に対して、あんしんサポートに対し、人が
どう評価し、どう言うかは、さほど気にもなりませんし、家族を
守る為に親戚に苦言を呈したり、時に宗教者に苦言を呈する事も
あったりします。 親族や宗教者に対して、家族を守る為に何か
言う葬儀担当者って多分・・・日本でもそういないだろうと思う。

しかし家族は僕を頼ってきた訳だし、それを受入れたのですから、
守るべきは守る・・・のも僕の仕事だと思っています。

親戚が嫌な奴だと思ったとしても、宗教者は自分の意見に逆らう
葬儀社など無いと思っているようですが、家族にとって負担だと
思うことは、僕が悪者になれば良いだけの事・・・

宗教者は別として、親戚については自分が同じ立場になった時は
多分あんしんサポートの戸を叩くでしょう。

もう20年以上も前になりますが、美容室の経営指導をしてた頃
講習をを受ける態度の悪いスタッフは何人も退席させました。
中には経営者に聞かず「明日から来なくて良い!」と帰した人も
いました。 僕が若かった事もありますが、それだけ真剣だった
のも確かであり、下手な妥協をして何とかなるほど甘くないって
のもあったからです。

ところが、数年後「美容室を開店したいのですが是非、開店する
相談と経営指導をしてください」と突然の電話を何度貰った事か、
誰か分からず事務所に来て貰うと、その多くは以前経営指導した
店のスタッフだった人で、その中には僕に帰らせられた人が何人
いたことか・・・大抵すぐに分かりませんが、暫く話しを聞いて
いると思い出す・・・すると相手が恐縮して言います。

「あの頃は突っ張ってましたけど、いざ自分が店を出そう思うと
武井さんの言ってた事の全てが納得できるから、是非お願いした
いと思って伺いました」と言うのです。
そっかあ・・と笑って引き受けるのですが、人はそんなもんです。

対岸の火だと思えば、その時代の常識や、一般論を当然のように
振りかざすけど、我が身となれば一般論でなく、我が家の事情で
物事を考えるのが人なのです。

夜中でしたが真剣に見入った医師は、常に患者を生かす、それも
最善の生かし方を貪欲に追い求め、一点の妥協もしない、させな
いという信念は共感であり、納得であり、学びでもありました。

人間としての器も違うし、土俵も違うし、比重も違いすぎるけど、
『頼ってくれた家族は最後まで守る』との思いは、今まで同様に
僕らなりに貫き続けようと・・・改めて思えた番組でした。


ただし、何度も、何度も書いていますが、このまま書き終えると

人は『良い人』とか『人助けしてる人』との評価をしてくれます。

そう言われるのはプレッシャーになるし、本音で言えば好きで

はありません。  その理由は、良い人や人助けでしている訳

ではないからです。


いつも言うように『僕の自己満足』でしている事が、ときたま人の

役に立ったり、人助けになっているだけの事だからです。

毎回のように書くのは面倒ですが、僕が良い人のイメージを創り

あげられるのは本意でもなく、良い人を演じるのも嫌いです。

良くも悪くも、僕は僕であり、偶像で生きる気はないからです。


 

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