ようやく静けさが戻り、パソコンから Vivaldiの四季が流れる中、
コーヒーを飲みながらブログを書き始めました。
八王子裁判所から父親逝去の手紙が届いた事から、全く予想外の
方向へと向かって10年が経とうとしています。
美容業の社長から、葬儀屋への変化は家族や周囲も驚く変化でし
たが、きっと運命だったのでしょう。 と思うしかない・・・
ただ、この転換には不思議な事がいくつもあり、偶然だろうけど
必然のような出会いも重なり続けた結果だから、運命だろうって
何処かで思ってる自分がいるんだろうと思う。
いくつもある不思議の代表的なのが『葬儀に対する考え方』です。
生まれて一度も喪主の経験はなく、葬儀の打合せに同席した事も
なく、当然関心もなく、何となく忌み嫌ってきた葬儀関係の仕事
ですから、葬儀の事など一度も考えたことすらありません。
なのに当初依頼してた葬儀社の仕事を、一緒に手伝いながら見た
り聞いたりしても、お寺の住職の話しを聞いても、納得してない
自分がいた。 理由は分かりませんが『偽善』に感じたのです。
と同時に僕の中には葬儀に対する考え方が有ったのです。
それもかなり明確になっていました。
例えば料金設定についてですが、当時は直葬10万円で施行する
のがやっとだった時で、目指していたのは国保からの葬祭費5万
円と無謀な挑戦としか思えない時期でした。
にも拘わらず、家族葬儀38万円、一般葬58万円ほどで行える
のが目標とくちにしてたのです。 なんの根拠も無く・・・
一般葬に関しては会葬者数で異なりますが、10年後の今、設定
している料金は正にこれに近いものなのです。
家族葬22.9万円 ・ 一般葬39万円がパック料金だからです。
この頃は宗教者についてはノータッチでしたが、当時と違うのは、
居士大姉戒名付の葬儀が、布施7万円で可能になった事です。
いずれにしても10年後に実現する葬儀料金を、堂々と口にして
いたのですから不思議です。
しかし当時、僕の口にしていた葬儀内容、料金、考え方の全てが
『邪道』と言われるものだったと思われます。
葬儀とは祭壇の前でお坊さんが読経をし、沢山の人達が会葬して
近所の人達も手伝う儀式で、金の掛るものというのが世間的には
極々当たり前の時代でした。
・・・そこに突然現れた訳の分からない奴が、葬儀で黒の礼服を
着ることもなく、黒のジーンズ、黒のジャンパー、黒のポシャツ
という姿で葬儀をし始め、こんな事を堂々と言い始めたのです。
》生まれたら死ぬのは道理、なのに死に高額な費用は解せない
》今の葬儀は金がなきゃできない葬儀、誰でもできる葬儀が必要
》本来行政がすべき事、でもしないから我々が先行しているだけ
》葬儀は大事だけど残る家族の生活のほうが大事、無理はするな
》今の葬儀は葬儀社と宗教者の為の葬儀にしか思えない
》今の僧侶は宗教者でなく葬儀屋さん
》日本人はさして信仰心を持たないのに高額な布施の僧侶不要
》葬儀社は単に営利目的事業、誘導商法に惑わされるな
》戒名無くばあの世に逝って成仏できないなど霊感商法と思え
》金は出さず、口だけ出す親戚の話しなど聞く必要なし
》少子化ゆえ墓閉じは間違いなく増える
》老人破産は起こると心得て老後を生きるべし
》散骨は間違いなく増えるし、墓の在り方そのものを見直す時
その他にも数々の発言をしてきました。
そして、一般以上の内容で超低料金葬儀を創り出し、宗教者とか
永代供養墓、専用散骨場も自己所有し、墓誌彫り納骨も相場額の
半額で行えるよう日々前進してきたつもりです。
NPOについては僕の存在が消えた段階で、少し回転の良い奴が
入ってきた事を想定し内情が公になっている事と、設立当初から
色々知ってる人達が理事として参加してたほうが、掻き回される
事もないだろうとの判断からだけでした。
実際NPOだからと何の助成も補助もないし、面倒な手続きだけ
増えたり、税金も一般法人と全く一緒・・・唯一収入印紙だけは
貼らずに済むのがメリットかな・・・あとは何もありません。
上に『 》』で書いた事を堂々と言い出したのですから、当初は
本ブログにも、無名で異論コメントがいくつかありました。
しかし僕は名前は勿論、顔写真まで出してあるのですから、何か
言うなら堂々と顔を出せば、真面目に答えるけど、匿名者相手に
話す気はないと書くと、その後は返答すらありませんでした。
改めて 》 部分を読めば分かりますが、当時なら間違いなく、
『邪道』と言われただろうと思います。
あれから10年の時が経ち完全邪道から、葬儀の世界が少しづつ
変化しているのは、皆さんも感じておられるでしょう。
まだ王道にはなっていませし、王道になる必要もありません。
葬儀であれ、何であれ、個々の環境や生活状況の中で無理をせず
自分なりの事をして当然と思える正道時代になれば良いのです。
それは葬儀の形であれ、宗教者であれ、墓に於いても同様です。
金があれば贅沢するし、無ければ節約するのは当たり前の事です。
当たり前の事を改めて訴える必要があるほうが滑稽ですが、それ
でも業界に投じた一石は間違いなく波紋を広げています。
にほんブログ村
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります