7月17日、今月に入って初めてホッとする日が出来た感がある。
毎日葬儀をしてきた訳ではないのですが、少しのんびりしたいと
思うのが本音の祝日となってます。

昨日家族葬をした家族、特に故人とは親族の葬儀で4回顔を合せ、
墓標の命名も僕がしていたと分りました。 墓標の命名!?って
印象でしょうが、これから増えるパターンだし、墓守不在を解決
する方法のひとつでもあるので、紹介しておきます。

例えば『武井家』の墓があり、親族に『千明家』があったとして、
武井家に跡継ぎは無いけど墓はあり、千明家は跡継ぎはいるけど
墓が無いといったケースです。 場合によっては千明家にも墓は
あるけど古くて、建て直す必要がある場合にも使えます。

簡単に言うと、両家の墓をひとつにまとめるということです。
この場合、武井家の墓所を利用する訳ですが、墓石に武井家って
書いてある墓のほうが多いですから、墓石は新たに交換します。

墓標には武井・千明から一文字づつ取り『武千絆墓』と彫ります
『千武絆墓』でも構いません。 費用は墓の無い千明家が出す。

竿石代だけですから、当然費用は抑えられます。

これなら墓守不在になる武井家の人達も入れるし、千明家に墓が
できるし、武井家が誰も居なくなっても、千明家の人達が守るし、
線香を供えてくれるから、とりあえず墓守は続けられます。

但し、これは公営墓地を筆頭にした年間管理費のみで存続できる
墓地限定だと理解しましょう。 年間管理費以外に費用の掛かる
墓所なら撤去して墓閉じするほうが良いでしょう。

そんな事があったり、葬儀の度に相談に乗ってきた事もあっての
事でしょうが、故人の子供さん達から「ばぁちゃんや、じぃちゃ
んの時は、武井さんに葬儀して貰うから大丈夫」と子供達に伝え
てあったようでした。 子供達とはいっても40代、50代ですから

立派な大人ですが・・・


子供達とも何度か顔を合せ、言葉も交わしていますから、逝去の
直後から、葬儀の全てについて、ひとつひとつ確認、相談をして
くれましたし、全面信頼してくれているのが分ります・・・・
ただ正直なところ嬉しさより、責任感のプレッシャーが強い。



心身余裕のある時なら、さして苦にならないでしょうが、寝不足、
疲れ、更に今は五十肩で左肩に力が入らない分、右肩でカバーを
する為か普段は知らない肩こりで痛い中での自宅マンション安置、
ご遺体を運び、ベッドに寝かせるのも腕力勝負、荷物も全てエレベ

ーターで運んで設置と中々大変でした。

それでも完全信頼を裏切る訳にはいきません。
まして家族も驚くほど突然の逝去ですから、受け入れられるはず
などなく、2日後の友引を利用しようと思いました。

13日、14日、15日の3日間は、家族が少しでも家族の死を
受入れる為の時間として過ごし、料理が得意だった故人だと聞き、

故人のレシピがあると聞かされたので、15日午後はレシピのある
料理を全て娘と孫娘で作り、家族全員で食べながら、故人の写真
だとか思い出話しをして過ごすよう伝えます。 
出来れば家族だけで・・・家族が気を遣う人のいない状況で・・・
というのが絶対条件であることを付け加えました。

3日間、我々も毎日通ってドライアイスの状況を確認しましたが、
自宅安置はどうしても温く、身体はドライアイスで凍結する事も
できますが顔と頭部の腐敗進行を止める必要があります。
そこで安定枕付の搬送シートが役立つのです。
頭部は凹んでいますから、そこにドライアイスを平たくして半分、
約650gを綿花で包んで2個V字にした上に頭を乗せておきます。
翌日には無くなっていますから毎日入れ替えですが、顔が黒ずむ
のを防げるし、顔色も赤みが無くならずに済むはず・・・と判断
しての処置でしたが、案の定、火葬直前まで穏やかで寝顔のよう
なまま過ぎてくれました。

これはほんの一例で、全てがこんな感じの対応ですから、いつも
以上に疲れる葬儀ではありましたが、家族全員が最後の最後まで
感謝してくれたのが幸いでした。

今回初めて気付きましたが、初めて家族親族の葬儀をする方より、
2度目、3度目と重なる度、家族との接触も増える事で、余分な
神経を使わずに済むようになるし、それがずっと続くと思ってい
ましたが、ある回数を超えて家族が完全信頼の域に入ると、そこ
から責任感や信頼に応えようとするプレッシャーが強くなる・・・
というのを初めて知りました。

今は家族の期待を裏切る事なく葬儀が済んだ事に安堵です。
こうしてみると、葬儀という仕事のせいか、或いは武井の性格の
せいか分かりませんが、長ければ、多ければ慣れるってものでは
ないようで、一旦は慣れても新たな緊張が生まれるようです。



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