前回ブログで『今できる事は延ばさず、すぐにやれ』と書きまし
たが、その通り・・・と思える流れになりました。
7月は月初めから寝不足なのと、数日の余命宣告を受けた連絡も
相次ぎ、とにかく出来る事は早々に済ませ、1時間でも早く自宅
に戻って身体を休めようといつもより早く布団に入る。
そろそろ寝ようとした時、千明から電話・・・
『えっ搬送』と思いましたが、前橋から少し離れた施設長からで
危ない人がいて、うちの話しをしたら是非紹介して欲しいとの事、
家族親族は東京の人のようで「もしもの時はお願いします」施設
長からの電話があり、夜中に電話が入る可能性があるからと一応
報告しておきます電話でした。
「あいよー 分かったよぉ」と電話を切ると寝る体制に入ります。
3時間寝た、午前1時前、携帯が鳴る、先ほどの方だろう思って
電話に出ると「〇〇さんが亡くなったと連絡がありました」
聞いても少しの間、ピンときません。
「ん? 〇〇さんの誰が亡くなったって?」
「だから、〇〇さんの奥さんですよ」
「えっ、えー!! それほんと??」 「らしいです・・・」
お迎え時間は午前2時頃との指定、すぐに起きてシャワーを浴び、
あんしん館に向かうと、千明はドライアイスを取りに行ってから、
あんしん館に到着、お迎えは総合病院のICUで、午前3時には
エレベーターの使用可能との連絡・・・自宅に連れて帰りたいと
の事で、マンションの自宅に向かいベッドにご安置。
過去4回の葬儀で顔を合わせた人でしたから、家族とも顔見知り
だし、簡単な打合せだけでも自宅を出たのは午前5時でした。
13日夜中に搬送ですが、15日は友引ですから、16日(日)
午後3時の火葬という日程を組みました。
さすがに日曜日は法事で一杯の寺が多いとの予測から、午後なら
何とかなるだろうとの思いと、前橋斎場は大式場の予約が入って
いたのを確認、大式場葬儀は正午からの開式が多いから、午後の
2時半に霊柩車搬送なら、会葬者も引けているはず・・・と判断
したからでした。
ところが13日、霊柩車搬送で行った際、棺を下ろした直後担当
者に16日の流れを聞くと「午後2時からのお別れ会ですよ」と
言われ、すぐに予約の変更に入りました。
普段なら絶対に空いてない時間帯なのに、前日予約をした時には
午後1時火葬の予約が取れる状況だったからです。
そこから、寺に葬儀依頼の電話をすると、なんと16日は午後も
一杯で時間はとれず、何とかなるとしたら午前10時からの葬儀
だけと分かりました。 すぐに午前10時葬儀、午後1時火葬の
段取りを考えます。 その結果はこうなりました。
》午前7時30分、故人お迎え
》生家の前を通って、あんしん館に入り式場の棺台布団に安置
》午前8時30分、湯かん納棺の儀
》午前10時家族葬会式 午前10時50分終了
》午前11時、花入れ、お別れの儀
》午前11時15分、戒名説明
》午前11時25分、急逝までの流れを喪主が説明
》午前11時45分故人の得意だった煮物料理を娘と孫娘で作り
集まった方々に味見をして貰い、お茶、コーヒーで暫し雑談
棺を囲んで家族写真撮影
》午後12時10分、出棺準備と出棺、会葬者は先に出発
》午後12時15分、霊柩車出発
》午後12時20分、最後のお別れと火葬炉に入る
》午後12時30分頃、着火
》拾骨まで待合室にてお清め・・・
葬儀終了から出棺まで、いつもより1時間空きますが、折角空く
時間なら有意義に過ごさせてあげれば良いだけの事です。
その時間があって良かったと思える時間にすれば良いだけの事。
更に午後2時からの大式場お別れ会40分前に、我々は斎場入り
しますから、駐車場も問題ないでしょう。
また宗教者にも迷惑を掛けず、家族も希望する宗教者の司式の元
最後まで温かい葬儀になってくれるはずです。
いつでも、冷静に、思い込まず、家族目線で、早い時点での確認
というのが、最善の流れを生み出す結果となります。
この冷静さを生み出しているのが、心の余裕であり、心の余裕は
『今できる事は延ばさず、すぐにやれ』から生まれるんだと思う。
いつ依頼が入るか全く分らない仕事だけに、後手後手になり易い
のは間違いないけど、それでも先手を打ち続ける事が大事・・・
先手を打っても、依頼がなく余裕な時だってあるでしょう。
そんな時は精神的にも余裕なはずですから、うさ晴らしにカラオ
ケにでも行って大声出してくるのも良いし、余裕なら休日だって
良い・・・怠慢で焦って失敗とは無限大の違いだと思います。
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