最近では事前相談、入会の場に僕自身がいる事は少なく、殆どは
千明が対応してますが、主目的は会員さんや相談者の中に千明の
存在感を強く印象づける為であり、千明一人でも信頼に足る知識
とか話法や人間性を身に着けてもらう為でもあります。
他の葬儀社がどうかは全く知りませんが、うちに来館される方は
あらゆる質問をしますから、どんな質問でも即座に対応ができる
知識とそれを正確に伝える話術、そして信頼に足る人物と思える
人柄も大事で、今はその実施研修期間って感じでしょうか。
僕が同席しないのは、僕の話しを聞いて得た知識を、堂々と話す
には同席してたら話しにくいからです。
今では葬儀依頼を受ける、受けないも千明が判断することが多く
昨日も一件受けなかったようですが、それで良いと思っています。
受けないのは、受けたくない理由があるからで、無理しても結果
として後悔に繋がります。 元々が聞き上手で、穏やかな性格の
人ですから、その千明が受けたくないとしたら・・・間違いなく
それだけの理由がある相手だからです。
ただ時々自分だけで判断出来なかったり、知識の足りない部分の
質問などがあると事務所に来て、同席して欲しいと言います。
昨日、最初の方もそんな方々でした。
どちらも墓の問題が絡んでいましたが、さして難しい問題でない
事と、自分が動けるうちに対処するよう、対処方法も教えたりと、
2時間ほど話し入会して帰られましたが、帰る頃になると我々と
話しをしていると元気になれる。 心が軽くなれる。 そして、、
決心がついたと言われました。
この言葉、よくよく考えると怖い言葉でもあります。
ずっと迷っていた事柄について相談をしたら、僕から出た言葉を
信じて決心する・・・右か左か僕の判断を信じるのです。
そう考えると、ある種の怖さも感じますが、考え方の根底だけは
いつもブレる事なく同じスタンスで居続ける必要があります。
僕らの場合『家族目線』ということです。
そう言えば、執筆が90頁ほどで暫く止まっており何を書いてた
のかさえ覚えていませんが、一昨日の葬儀で感じた余りの無知さ
には正直なところ驚かされました。
『医者がサジを投げたら読む本』と題した執筆中の著書でしたが
どうも・・・人の死にまつわる最低限の知識も記載しておくべき
なんだろうと思えました。
僕の中にある知識の圧倒的多くは、会員さんからの質問や相談を
調べることから始まっていますから、会員さんに育てられた知識
と言っても過言でなく、そんな家族に『いつまでも続けて欲しい』
と励まされて辿り着いたのが、今のあんしんサポートなのです。
商売とか、我々の生活と考えたら、もう少し内容を濃くして料金
的には1.5倍くらいにするのが、最善策で最も利口な方法なのは
分かっていますが、我々を励ましてくれる家族、帰り際に深々と
頭を下げ「本当に助かりました」と言ってくれる家族を考えると
何とか今の料金設定は維持できないかと、踏ん張る自分達の心が
自然に湧き出すのだからどうしようもない。
会員さんからは「もう少し高くなっても良いと思いますよ」との
声は何度となく聞かされていますから、本当に食えなくなったら、
その時は全ての会員さんに確認と提案の封書を出すつもりです。
その時点で、あんしんサポート不要論が多ければ閉鎖すれば良い
だろうし、続けて欲しいとの声が多ければ値上げになるでしょう。
勿論、今まで同様事業として成立し続ければ我が道を歩み続ける
だけの事です・・・ なんでこんな事を書いたか、それはこれが
人なら自分に万が一の事があったら、その時はこうして欲しい。
事業ではありますが、それと一緒だからです。
人には、あーだ、こーだと言ってながら、正直なところ自分達の
死後については正に『紺屋の白袴』『医者の不養生』なのです。
とはいえ、たまに家族で葬儀や墓について何気なく話しもするし
こうしてブログも書いてますから、僕の意思は伝わっているのが
本当のところでしょう。
と、ここまで書いたらスマホに小林麻央さん死去の一報が入って
きました。 34才、小さな子供達を残して逝く・・・母親なら
どれだけ辛い事でしょうか、心残りでしょうか・・・
個人的には暫くの間は、家族で静かに過ごさせてあげたいと思い
ますが、日本の報道陣は最高のネタと追いかけるでしょう。
人の悲しみさえ飯の種だけで考え、最も辛い家族の傷に塩を擦り
つけるような言葉を平気で吐き、心にも無い悔やみ言葉を言う。
なんか・・・葬儀業界と似ていませんか・・・
飯の種にするなというのではない・・・ 少しの間だけ家族には
家族で悲しめる静けさを提供するのが、家族以外の者の礼儀・・・
そんな風に思う・・・多分、これが武井であり、千明で、そして
あんしんサポートという法人なんだろう・・・
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