年間通して毎月の施行数は大差ないと思っていましたが、昨年も
5月は結構余裕があったんだと分かり、こんな時じゃないと始め
られないと、兼ねてからタイトルだけは決めていた著書の執筆を
開始しました。
著書 第三段『医者がサジを投げたら読む本』
僕の持論のひとつに『葬儀は死して始まるものにあらず、医師が
サジ投げた瞬間から始まる』というのがあります。
この持論には『死んで騒ぐな、騒ぐなら生きてるうちに騒げ』と
続き、更に『生前不義理してた者ほど死後に騒ぐ』となります。
全文を書いたのは初めてだと思いますが、葬儀の仕事はしている
僕なのに、どう考えても大事なのは存命中としか思えません。
僕が死んだあとで、騒がなくていいと思っているからでしょうが、
生前から準備しておくべき事も沢山あるし、死後の手続きは勿論、
残る家族の間で喧嘩にならんよう準備しておくのも生前です。
と、ここまで書いたら、息子が休日を利用して墓誌彫りに行くと
来館し、手が空いてたら手伝って貰えると助かるとの事、冷房の
効かない軽トラックの助手席に乗って行ってきました。
寺の墓所にある墓誌に戒名を彫り、墓石の裏側に赤文字で彫って
ある建立者名の赤色を消すのですが、僕が手伝えるのはトラック
から道具類を運ぶのと、墓誌の赤字消し、後は今回ありましたが、
不測の事態が起きた場合の決断とアドバイスです。
1時間半ほど真夏日の強い日差しの中にいるだけで、顔は赤いし
帰って座るとドッと疲れが出ます。
その後、昼飯を食べて戻り、執筆に入る前にブログ書きです。
一昨日の夜、タイトル、目次を書き出し、昨日から執筆を始めた
のですが、夕方からは事務所に一人でしたから集中出来ました。
一気に20ページほどを書き上げられました。
さすがに執筆も三冊目になると少し慣れてくるのか、書き始めた
ら休まず一気に書いたほうが、効率良く短時間で書けるし、話し
の流れもスムースだと分ってきたようです。
ただ、毎度のことですが、全てのページを新しいページ面で書く
のではなく、右ページと左ページを交互に書いては、別名で保存
していく為、時々上書き保存してから慌てる事があります。
まぁ、慌てたところで上書きされたら、前の文章はこの世に存在
してませんから、改めて書き上げるのですが、書き直した文章は
全く別物になります。 同じ文章になった事は一度もありません。
でも言いたい事は同じだし、一度書いているせいか、書き直した
文章のほうが長めになるのと、内容的にも良くなる傾向がある。
なら毎回書き直せば!? って言われそうですが・・・
そんな面倒な事は絶対にしませんし嫌です・・・消え去った文章
だから仕方なく書くだけです。
わずか20ページだけですが、僕の中にある本来あるべきと考える
葬儀の姿が明確に文字で表現されます。
読んでくれた方が『なるほどなぁ、こんな葬儀の形もあるんだな』
って思ってくれたら、書いた価値は充分あるなと思ってます。
また今回は、生前、死後に自分ですべき事、家族がする事などと
少し前に遺族年金の話しを書きましたが、その辺りや死後の家族
紛争を避ける為、遺言書にも触れる必要があるし、法務局の書類
などについても触れなければなりません。
面倒臭せぇーが本音ですが、今回はうちの千明からリクエストが
あり『その本、私が欲しいです』と言われ執筆に踏み切りました。
僕の本は元々販売が目的でなく、会員さん達の中で湧き出た疑問
質問、相談に対して書いてるのと、後継者用に書いてるのですが、
文章にしてみると、我が本音というか、それこそ我想うの真髄が
明確に見えてきます。 とにかく書いてみると良いですよ。って
言うと、本ほど長い文章なんて書けませんという人が圧倒的なの
ですが、本当にそうでしょうか?
女性の人達はドリンクバーのある所で、半日だって話し続けてる
なんて人は多いんじゃない? 男性なら酒でも飲みながら仲間と
話した事ってあるんじゃない?
それを文章にしたら一冊どころか、2冊、3冊分も話してる位の
文字数はゆうにあると思うのですが・・・
本を書く!なんて意気込むから書けなくなるんです。
いつものおしゃべり感覚で、いつもの話し方を文字にすれば良い。
で、途中で嫌になったり、話しが続かなくなったら中止するだけ、
僕の執筆もそうですが、今回20ページだけど、前回は別の内容で
80ページ以上書いたけど、全てボツにして書き直しました。
このブログだって同じ、僕の話しは1回、1回が決して短文では
ありませんから1500話以上って事は数冊の本になるはずです。
いつものブログと同じような感覚で書く・・・ただそれだけ・・・
そして完成した時は、僕が死んでも本は残る。
前にも言ったかなぁ、、毎日パソコンの前に座りますが、必ずと
いっていいほど、YouTube で音楽を掛けています。
今は南こうせつ、かくや姫等、僕が学生時代のフォークを掛けて
聞きながらのブログ書きです。
朝一はヴィヴァルディの四季(Four Seasons ~ Vivaldi)を聞く
のが日課ですが、文字を書くのも日課にすれば苦ではありません。
毎日文章を書いているせいか、時々喪主から葬儀の挨拶を書いて
貰えませんかと頼まれても10分もあれば充分だし、会員さんへの
印刷文、パンフレットの文章など、口語体の文でも、行政などの
お堅い文章でもサラッと書けるのは大きなメリットです。
字を書けば小学生並みに下手ですが、文章はサラッと書けるので
人によっては『頭良いんだなぁ・・』って勘違いしてくれます。
上にも書きましたが、人間は子供を見れば分かるように、書く事
より話すほうが先ですが、話せるようになれば書けるのです。
心の奥で眠っている我が心根を目覚めさせられるかも・・・
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