最近は墓守不在ゆえなのでしょう永代供養墓が急増していますし、
あんしんサポートでも専用の永代供養墓を所有しています。

始めに永代供養墓とはなんぞやから書きます。
『永代』だから永久に供養してくれる!? 
いえいえ、そうではありません。 
一般的には33回忌ですが中には10年間や、50回忌までと対応は
多岐にわたります。

関西のように分骨が当たり前の地域もあれば、東日本に多い全骨
もあるし、個別の骨壺納骨もあれば、大きなカロートに撒いての
納骨もあるから、これまた多岐にわたります。

料金も数万円~300万円と言われた方もいるほど格差があります。
勿論、永代供養墓の造りも各々違います。
更に年間管理料、檀家となり要年会費なども確認が必要です。

あんしんサポートが永代供養墓を所有したのは次の3点からです。

① 散骨場で利用者の問題行動があったこと、
所有した当初は家族が自分で散骨をして貰っていました。しかし
冬山の枯葉があるのに線香を供えた人がいました。 山火事でも
起きたら大問題です。 そこで全て代行散骨に切り替えました。

② 散骨最大の難点が見えたこと、
何度か書いたので覚えている方もおられるでしょう。 全散骨を
すると後日手を合わせる場所が無いのが散骨最大の難点です。
人とは不思議なもので、墓があれば行かないのに墓が無いと行き
たくなる・・・そんな天邪鬼感覚を持っているようです。

③ 散骨場があるから永代供養墓の所有に踏み切った
今回の素朴な疑問は、この部分のことです。
僕の知る限り、寺の永代供養墓に納骨した遺骨処理ができる寺を
見たことも聞いたこともありません。
どんなに大容量でもいつか満杯になる時が訪れます。
その時、遺骨はどう処理するか? というのが第一の疑問です。

都内でも土中に埋めた大きな瓶に入れた遺骨を見ましたが、石灰
質ですから湿気で固まった瓶一杯の遺骨に、住職も頭を抱えてた
のが現実ですし、仮に溶解液で溶かして吸い上げたとして、その
先はどう処理するのかという事です。

すると墓と同じで、寺が続く限り供養し続けると言う寺もあるで
しょうが、今の状況で全ての寺が存続できるとは思えません。
寺が続こうが、廃寺になろうが、預かった遺骨はこうなりますよ。
って明言できる流れがあってしかるべきだと思うのです。

僕が散骨場が先で、後から永代供養墓を所有したのは、①と②の
理由の他、この問題が解決できるからです。

それらを踏まえて、あんしんサポートの散骨、永代供養墓は・・・
『全散骨』
全ての遺骨を散骨し何も残さない

『散骨+手元供養』
10cm角の専用容器に一部遺骨を取り分け、他の遺骨は散骨をし
容器の遺骨を仏壇等の手元で供養すれば、年老いて墓参りに行け
なくなった人はいつでも手を合わせられます

『散骨+永代供養墓』
2番目と同じですが、専用容器の遺骨を永代供養墓に納め33回忌
まで納骨保管、その後は粉骨して当方散骨場に撒き土に還す。
その為、年毎に保管場所が分けてあり火葬証明書も入っています。

永代供養墓は『あんしん一樹の陰』と命名し、協力して頂いてい
る寺の墓所に建立してあり、墓参はいつでも自由にできます。
また現時点では、年会費無用、管理費無用、年忌法要は檀家料金、
そして檀家にはなりません。

最終的には遺骨を土に還し、33回忌までは孫子がいつでも墓参り
できるし、自分が行けなくても綺麗な花を飾ってくれる人がいる。
納得のできる循環が可能になると分かって、初めて永代供養墓の
建立に踏み切ったわけです。

預かるまでは、あーだ、こーだと能書きは言うけど、最後の始末
さえできない、考えてない寺が多く、どうなのかと思う訳です。



余談ですが、一樹の陰はいつ行っても新しい生花があります。
自分が何かの都合で墓参りに行けなくても、他の家族が墓参して
くれれば花も線香も供えて貰えるって有難いですね。

春の彼岸に花立を10個増やしましたが、水桶置き場には、あんし
ん一樹の陰と書かれた水桶がいつの間にか置いてありました。
家族の誰かがみんなで使えるよう置いてくれたのです。

個々の家族や親戚だけで守っていけないのが今の墓ですが、あん
しん一樹の陰が、墓の守り方を教えてくれています。

家や血筋に拘る時代は終わった・・・
墓を守っていきたいと思う人達が大勢集まれば、相乗効果も相ま
ってか、今まで以上に墓参りをしようと思うし、自分が行けない
時も他者が墓参してくれる・・・お互い様の精神で墓守をする。
それが今の時代なんだと無言で教えられている気がします。

『一樹の陰』には以下の文字が彫ってあります。
見知らぬ者同士が偶然、一本の木陰に寄り添う
是、偶然でなく、前世からの縁なり
心穏やかにて安らかなる眠りをと祈る


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