春爛漫・・・暖かい花曇りの陽気にピッタリの前橋です。
ネットを立ち上げコーヒーを飲みながら、久しぶりにホームペー
ジの動画を見ていると最後の場面で僕の言ってる言葉・・・
「葬儀は人が生きてく上での最後の福祉だと思ってる。 弱者で
あろうが、誰であろうが自分の終幕を気にすることなく、自分に
与えられた、自分の人生を精一杯楽しめる。 精一杯生きられる。
そんな世の中にする為にこれからも頑張っていきたい」
と締めています。 思わず「ほんと、そうだよねぇ」と呟いた。
この瞬間、僕の中にある葬儀の優先順位トップは『弱者と呼ばれ
る家族や余裕の無い状況になった自分目線』なんだと改めて自覚
させられ、基本的に商売じゃないんだなぁ、なるほどなぁ・・・
それが今のあんしんサポートになってるんだと納得もした。
すると階下に人が来たチャイムが鳴り、モニターに老人が映って
おり千明が対応に向かう。 80代のお爺ちゃんは自分が肝臓癌で
その時が来たら葬儀をどうしたいか決まっているらしい。
旅支度はしっかりして欲しく、信心する宗派があり読経して貰い
たい、あんしん館は作っている時から見てて、式場内も見ている
らしい、周囲の葬儀社にも行き話しを聞いたらしいが、家族葬で
最低40万円、更に湯かんは別途費用だと聞かされ、229.000円
で15名ほどの葬儀ができるのは、あんしんサポートだけ、お金の
無い自分達でも家族葬ができる唯一の場所と再認識したそうです。
後で奥さんと一緒に入会に来ると帰っていかれました。
自分の葬儀で『自分のして欲しい事』と『今の財布事情』を考慮
して歩き回ったということなのでしょう。
これが多くの老人にある現実の姿だと教えてくれた方でした。
最近は数日間空くとって言うか、葬儀の翌日なのに葬儀が入って
ないと暇な感覚がすることさえある自分がいるのを感じる。
設立した年なら、一般葬ではあるけど、次の葬儀まで数か月もあ
ったのに、わずか数日空いただけで暇だと感じるのだから、人の
感覚とは慣れや状況により大きく異なることだけは分かる。
これを財布事情に余裕が無くなった老人に置き換えたら・・・
現役でバリバリ働き、それなりの収入もあり、多少の贅沢をした
ところで余裕のあった頃と違い、今は少額年金だけの生活となり、
日々の生活費、医療費、介護費だけで精一杯だとしたら、自分や
家族に万が一の時が来たら・・・どうしようか不安になるだろう。
余裕が無いからこそ、他人から見ればさして気に成らない程度の
ことだとしても、本人にとっては大きな心の負担の日々・・・
って事になるんじゃないかな。
例えばね・・・自分達夫婦の老後を考えてみましょう。
『自分の年金が月に12万円』
『奥さんの年金が月に6万円』だと仮定します。
どちらか一方が痴呆で施設に入ると月に15万円掛かります。
(特養は介護度3以上の為、出歩ける人の場合難しいかも・・・)
片方は残りの3万円で生活できますか? 現実は一銭も残らない
って言っても過言じゃないから生活は無理だと思う。
特養だとしても8万円+αが掛かるから、生活はやっとでしょ。
預貯金を切り崩しての生活が現実でしょう。
入院や手術などあれば預貯金は一気に底をつくって人多いでしょ。
この人達にとって配偶者の死後費用と考えてみてください。
自分だったら死後費用の重圧感はありませんか?
日々配偶者の死に怯えながらの生活だろうと思いませんか?
神経の太い人、無責任な人なら問題ないかもしれません。
しかし生真面目な人にとっては真綿で首を絞められるような日々
だとしても不思議ではありません。
僕の言う弱者とは金銭的な余裕が無いのは勿論ですが、その上で
生真面目な人、強く言えない人、気弱な人、などがあります。
真面目に、静かに、温厚に生きてこられた人が最後に馬鹿を見る
世の中ではなく、報われる世の中であるべき・・・
自分の感覚だけでなく、弱い立場や、性格的に弱い人達の目線で
見られる自分であり続けたいし、すぐに対応できる人間であり続
けたい、それを自分ができる状況であり続ける限り・・・
と改めて思わせてくれた動画でした。
そう考えると、人の死後対策はやっぱ行政が行うべき事だと思う。
2020年に入れば、この問題はより深刻化します。
2030年前には全国何処でも蔓延する現実となるでしょう。
経済の発展も大切ですが、目の前にある課題に取り組む政治行政
であって欲しいと思いますが、欲と自己顕示欲の塊である政治家
にとって先の短い老人問題は、どうでも良い事なんでしょうか。
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創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります