ようやく懸垂幕を取り付けました。
もう何枚だか、何十枚だかの懸垂幕を、あんしん館横の4車線道に
貼りましたが、今回初めて2人の顔写真も入れました。



選挙選に出る前準備です。
エイプリルフール・・・にはまだ数日ありました。 フライング、、
選挙には無関心ですから間違ってもありませんが、パンフレットに
顔写真を出したり、動画を見た人は我々と初対面でも初めて会った
気がしないみたいで、何となく安心できるみたいだからです。

利用者と我々の間には見えないけど厚い壁が存在します。
その壁を初めから薄くできれば、壊しやすくなり、利用者が本音を
言いやすくなる要因のひとつになってくれるからです。

葬儀社勤務経験のある千明に言わせると、あんしんサポートの会員
さん達は、以前の葬儀社ならあり得ないほど距離感が近いし、相談
だとか、医師から最後通告受けた直後でも、友人や親戚に掛けてる
電話のような感覚で連絡してくれる感じがすると言います。

初めて会った者同士、探り合いながらの相談より、ある程度の事は
事前に分っているほうが、本音相談になり易いですし、葬儀内容や
料金も含め、葬儀後の後悔もさせずに済みます。

それともうひとつ、自戒というか、タガを掛ける意味があります。
顔を出すとは自分達を世間にさらす事ですから、いつも前を向いて、
顔をあげて生きて行こうとする為、戯言や大風呂敷、見栄は張らず、
無理をせず、要らん執着もせず、本音で生きるのしかなくなります。
そうしなければ、いずれは嘘つきのレッテルが貼られる事になる。

自分の顔写真をホームページやブログに掲載しているほうが信頼に
足ると言われるのもその辺りでしょう。

それと僕が見栄を張らず、執着をせず、綺麗ごとを言わず、本音で
生きるのを強調するのは、もうひとつ理由があるからです。

人の好き嫌いはあまり無いほうだと思いますが、2種類の人間だけ
どうしても好きになれず、嫌いなタイプの人が存在します。

『嘘つきな人』と『人として馬鹿な人』です

『嘘つきな人』
嘘をつかれると、どんなに親しい人でも信頼できなくなるからです。
親しく無い人なら、嘘だろうが、本心だろうが、正直なところ関係
ないし関心もありませんが、親しい人に対しての嘘をつくのは信頼
関係を無くしたい時、疎遠になりたい時に限ると思う。

少し考えれば分かりますが、家族、親友、同僚が嘘を重ねたとして
その人の事を信頼し続けられるでしょうか? 頭の中では信頼して
いたいと考えても本能的に信用できなくなっているはずです。

『人として馬鹿な人』
頭の良い悪いではなく、人としての常識に欠ける人や、自分中心に
世の中が回っていると思ってる人、上から目線で横柄な人などです。

世の中は沢山の人がいて初めて存在しています。 個々の考え方や
性格など様々だからこそ、多くの人が賛同や理解納得できる思考が
大事になります。 籠に乗る人、担ぐ人、そのまたワラジを作る人、
様々な役割があって世の中は円滑に回っているんだと思う。
こんな単純な事が分かってない人・・・好きにはなれません。

家族の中で稼ぎ頭の旦那がいて、子供達がいて、奥さんがいたなら、
旦那が稼ぎ、奥さんが子供達の世話をする・・・人の世話は24時間
体制ですから仕事もできない期間があって当然でしょう。
なのに自分が稼いでいると強く主張する旦那・・・子供達の世話は
母親だから当然という人さえいるのです。 こんな人の理解なんて
到底できるものではありません。 嫌いだから付き合いません。

自分が嫌いにならない人を書き出してみると・・・
『嘘をつかず』『他人の事が少し思いやれる』って事になります。
それが戯言や大風呂敷、見栄は張らず、無理をせず、要らん執着も
せず、本音で生きるという事に繋がっているんだと思う。

本音で生きるのは難しいと言う人は、建前で生きているって事でも
ありますから、結局は嘘をつく結果になり、その挙句信用を無くす
ことに繋がるんじゃないでしょうか・・・

その場、その場、刹那的な生き方をやめ、堂々と生きられる姿勢を
貫いてみようとするだけでも、芯が強くなれるんじゃないかと思う。


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