3月に入って落ち着いてきたから、体調を整えたり、懸垂幕2枚と
会員さん配布用パンフレットの作成など、山積みになってる仕事を
片づける期間になってくれたらと思います。

昨年後半書いてきた近未来予想と、そこから見えてくる成すべき事、
最近の葬儀では強く感じます。 やっぱなぁ・・という感じです。

ただ昨年も書きましたが、その対策の主となるのは医師なのです。
さらに訪問看護、訪問介護の方々、そして家族です。

『近未来予測で起こり得る現象』として見えてくる事・・・

・治る見込みの無い患者の退院促進がより強く進む
・自宅で終幕を迎えたいと思う人が増える

最後を自宅で、、極々当たり前の感覚、でもその当たり前を叶える
為にはいくつものリスクを伴う家族は多いでしょう。

》看病する家族の誰かが自宅にいなければならない
》往診してくれる医師の存在、痰の吸引なら訪問看護、風呂に入る
 なら訪問介護など費用がかさむ(医師不足は明白です)
》独居老人はどうする? 病院から出されたら施設に行けば費用は
 かさみ、自宅で過ごせば孤独死も覚悟

最後の時を『心穏やかに』過ごせて、家族の『対象者への負担軽減』
さして凄いことではないのですが、簡単ではないと感じます。
・・・いよいよ死ぬのも思ったように成らない時代なんですね。

あんしんサポートは法人ですから定款があります。
定款には2つの活動目的が書いてあります。

『生き甲斐支援』と『葬儀支援』が、あんしんサポートの活動目的
であり葬儀支援は、生き甲斐支援ゆえの葬儀支援なのです。

日常の活動を見れば間違いなく葬儀屋です。
しかし基にあるのは、生き甲斐支援で、ゆえの葬儀支援です。
何て書くと「えーっ!?」って言われそうですが、ホームページに
貼り付けてあるNHK動画を見て貰えれば分かります。

自分に与えられた、自分の人生を精一杯楽しんで生きる事が、この
世に生を受けた者にとって一番の目的だとするなら、せめて死後の
心配だけはしなくて良い、そんな世の中になって欲しいから、これ
からも頑張ると明言しています。

時々僕から「葬儀屋の自覚がない」といった感じの発言が出るのは、
この辺りの感覚からきてるんじゃないでしょうか。
葬儀屋がしたい訳ではなく、葬儀屋で儲けたい訳でもなく、誰もが
必ず通る人生の一幕なのに、そこに多額の費用が掛かり、家族には
大きな障害物とも思える葬儀が存在していた。

その障害物の存在を小さくはできる・・・
費用的な負担を小さくすべき時が来ていると考えた10年前でした。
勘違いして欲しくないのは『葬儀』が障害物なのではありません。
いつも言うように葬儀は必要だと思っています。
但し葬儀は家族が家族との別れを受入れる時間として必要なのです。
障害とは現行の派手で高額な費用の掛かる宗教儀式のことです。

だから葬儀屋の自覚もなく、家族目線を貫けるんじゃないかな。

『葬儀、遺骨供養など葬儀関連費用の低料金に拘る2つの理由』

これも主流はひとつ、支流として考えれば2つの理由となります。

死後費用が明確な低料金なら、それだけは残しておけば後は・・・
① 人生を楽しむ為の費用に使って欲しい
② 終幕前を穏やかな心で過ごせるための費用として使って欲しい

決して豊かではない限りあるお金は、死後費用に使うより、今ある
人生を少しでも豊かに、有意義に過ごす為に使って欲しい・・・
これが主たる低料金への拘りです。

こうして改めて書き出してみると、葬儀屋の自覚がないというのも、
なるほどなぁ・・と自分でも理解も納得もできます。

僕にとって葬儀とは、目的達成への手段であり、葬儀屋をするのが
目的ではないと再認識させられます。
きっと今回のブログを読んで頂ければ、いつもの葬儀屋らしからぬ
発言の数々も理解できるんじゃないかと思います。

著書ではありませんが、改めて葬儀とはなんぞやと考えて欲しい。
そこから『2030年を見据えた我が家の葬儀』を家族で話し合って、
個々の家族が自分達の都合と意思で行う葬儀が増えれば、そこには
『多様化すべき葬儀の在り方』が存在しているでしょう。

そこまで進めば、死後費用の心配をせずに済む時代になります。
そして、これが10年前に立ち上がった僕らの『目的』なのです。

そこに存在するキーワードは『穏やかな心』なんだと思う。
次回『穏やかな心で過ごすとは・・・』です。


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