数回に渡って書こうとしているのは、10年間葬儀を依頼されて、
施行してきた武井という人間が思う葬儀の真髄についてです。
まさに『我想う』の内容になることでしょう。
この部分を明確に細かく書くのは初めてだと思う。
さらに立ち位置によって同じ物でも別物に見えるのが普通です。
円柱の茶筒を真上から見れば『円』に見えるし、真横から見れば
『長方形』にも見えるが、どちらも間違いではない。
ただ偏った見方をしているだけの事です。
なら偏らない見方を・・・と考えがちですが、どんな見方をした
ところで他社から見れば偏見に映るものです。
そこで僕の立ち位置だけはハッキリさせておきます。
『残る家族の生活が一番大事』
故人も含めた家族毎の諸事情と残る家族の生活を最優先します。
物事を数多く経験した人の中には『シンプル イズ ベスト』に
辿り着く方も多いですが、葬儀についても同様に思えます。
現行の葬儀があまりに作られ過ぎ、誰の為の、何の為の葬儀かも
分からないだけでなく、より高額への道を歩み始めている。
団塊の世代が逝去する2030年代を当てにした商売の基盤作り
だろうと思いますが、これらを実現させる為には現行に多い葬儀
形態が根底に無ければ成立しません。
ようするに、祭壇の前に宗教者がいて、家族親族、一般まで焼香
して、高い料理を食べて、香典を包んで、半額のお返しがあって
その前日夕方には葬儀と同じことをする通夜がある葬儀の事。
そこで現行葬儀の在り方そのものから、洗い直してみたいと思う。
その第一回目が『葬儀は宗教儀式にあらず』です。
この部分について日本は非常に分かり易い国のひとつです。
日本の歴史から葬儀をみると、元々日本は神国です。
天皇家をみれば分かるようにいまだ神葬祭を行っています。
その代表が天照大神でしょうか。
天照大神には伊邪那岐の尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美の尊
(いざなみのみこと)という両親が存在します。
左目を洗って生まれたのが天照大神だったかな、いずれにしても
親がいるということです。
キリストについても、身籠ったとありますから、母親はいる訳で
すが、どの宗教についても『なるほどぉ』と納得できる内容では
ありません。
結論から言うと宗教が始まる前から、人は亡くなっていたと考え
るほうが自然です。 だとすれば、葬儀は宗教儀式よりも家族が
家族との別れを受入れる為の時間と考えられます。
日本は元々は神国ですから、神葬祭のほうが先、仏式葬儀は聖徳
太子が仏教を持ち帰り、広く拡散したのは徳川家の時代であって
キリシタンを恐れた幕府が強いた寺請制度(後の檀家制度)以降
なのは明らかです。
と少し書きましたが、ぶっちゃけ宗教論はどうでも良いのです。
現代社会に生きる日本人気質を考えてみましょう。
子供が生まれると初めに行くのは、おくるみに包んで神社です。
七五三、十三参り、成人式も神社に行くのが普通です。
恋人が出来て一生の契りを結ぶ結婚式・・・最近は教会式です。
そして家族が亡くなった時だけ僧侶の出番となり寺に行く・・・
今の僧侶は宗教者というより葬儀屋さんです。
それで食ってるのですから間違いありません。
宗教活動してる僧侶を目にすることは殆どありません。
でもそれを否定する気はありませんし好きにすれば良いと思う。
当然、利用するしないも好きにすれば良いんです。
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葬儀は宗教儀式にあらず、また死して始まるもので無く、医師が
サジを投げた瞬間から始まるのが葬儀である
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これが本日の答えです。
死んで騒ぐな、騒ぐなら生きてる時に騒げが持論です。
対象者が行きたい場所があるなら、死んでも良いから連れていけ、
食べたい物があるなら、死んでも良いから食わせてやれ、家族だ
から出来る事、家族しか出来ないことがある。
医師は一日、一秒でも長生きをさせるのが仕事、でも家族は一日
長く生きるより、対象者が望む事をしてあげたほうが間違いなく
悔いは残らない。 葬儀の現場から学んだ家族の心境です。
対象者と意志の疎通ができるなら、少しの時間しか取れなくても
意志の疎通をすること、ほんの数分しか会えなくても顔を出す事、
対象者の写真を全部持って行き、一枚、一枚自分の人生を振り返
らせてあげるのも良い・・・
会いたい人がいるなら会わせてあげなさい・・・
したい事があるなら、させてあげなさい・・・
これらのひとつ、ひとつが葬儀そのものだと思う。
家族の間にあるのは宗教儀式ではない・・・
ともに笑い、ともに泣き、ともに苦労し、ともに生きた者同士が
別れを受入れる為の時間が葬儀・・・それで良い・・・
これ以上に温かく送れる葬儀など存在しないだろう。
祭壇に花を飾り、意味不明な僧侶の読経など無くて良い・・・
元々信仰心に乏しいのが日本人なのだから、葬儀だけ無理しても
家族との別れを埋める事などできない、そこには空虚が残るだけ、
家族はすでに葬儀をしてきたのだから、お別れの準備期間を対象
者とともに過ごしてきたのだから・・・
読んで分かるように本来お金は掛からないもの・・・
なのに、高額葬儀しかない現状があるから、意識はそこに行って
本来すべき事ができない家族は多い・・・
虚像に惑わされ、本質が見えなくなっている家族は多い・・・
事前相談に来た人達に葬儀の本来あるべき姿をを説いてみる。
納得するも、しないも本人次第、どちらでも構わない。
納得する人達の葬儀なら、誠心誠意お手伝いさせてもらう。
納得できない人達の葬儀は、うちですべきではない・・・
家族も我々も後悔することになるだろう。
葬儀が終わってからでは間に合わない、その後悔は一生残る。
書いてる本人が見ても宗教っぽいと感じるが、何度も言うように
武井という人間は全くの無信仰だと明言しておきます。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります