1月9日は、毎年恒例の前橋初市です(だるま市とも言う)
昨日の成人式は午後から雨でしたが、今朝は曇りで、お昼前には
晴れました、風が吹かなければ良いのですが・・・








午前10時にちょっと離れた駐車場に停めて、10分ほど歩くと
初市会場となっている街中に到着、これまた毎年恒例の100円
甘酒を飲みながらフラフラ歩き、カステラの切れ端袋100円を
4つ、帰り際にもう一度甘酒とジャガバター2つを買って戻る。

普段は人が少なくなった街中ですが、朝から溢れんばかりの人で
活気のあった昔に戻ったようです。
お祭り感覚の活気は、どこか懐かしい風情です。
歩きながら子供の頃の正月を思い出してる自分がいました。

元旦の朝、枕元には肌着、ズボン、上着、そしてジャンパーまで
全て新しい物が置いてありました。
真新しい服に着替え、両親が揃うのを待って新年の挨拶です。

「明けまして おめでとうございます」

この言葉を言わないと、お年玉が貰えません。

大晦日は頑張って年越しまで起きていようと、駄菓子屋で菓子を
買って準備するのですが、いつも年越しできずでした。
そんな事を考えていると、自分の顔がほころんでいます。

29年生まれですから、経済成長は始まっていましたが、豊かな
時代では無かったように思います。
物質面と便利さを見れば、当時では考えられないほど豊かですが
人の心は貧しくなっているかもしれないと思えてくる。

一軒の家に三世代が住むのは普通の時代・・・
子供は5人、6人いても普通の時代・・・
上の子が、小さい弟や妹の面倒をみるのも当たり前の時代・・・
履き掃除、拭き掃除、風呂の火焚き、も子供達の仕事・・・
親が年を取れば、子供達が看るのが当然の時代・・・
悪さをすれば、よその小父さん小母さんに叱られる時代・・・

優しいお爺ちゃん、お婆ちゃんがいてくれた時代・・・
僕自身が年寄りに育てられたせいか、お年寄りには弱いというか
わりと優しい自分は若いころからいるのです。

家族は勿論、隣近所も、みんなで助け合い支えあって生きてた。
僕には古き良き時代に思えてなりません。

もし今でも同じような時代だったら、醤油や砂糖の貸し借りがで
きたり、当たり前に近所で助け合う日本人だったら、、
あんしんサポートの存在は不要かもしれない・・・とも思う。

そして不思議なのは、何気ないヒトコマ、のほうが幸せを感じる
自分がいて、ほのぼのとした幸せには、豪華な料理、海外旅行、
高級品を手にした時など一切出てきません。

数回に渡り『自分の中にある葬儀とはなんぞや』を書きました。
その文章を改めて客観視すると、他人事のように思える。

『なんか、この人すげぇなぁ・・・』と思ったり
『何か大きな挫折でも経験したのかなぁ』と思えたり
『取っ付き難そうな人だなぁ』とも思えるのです。

きっと若い頃はギラギラと仕事をしてきたように思うけど、同じ
人間なのに『時』という薬が人間を変化させるようです。
・・・この薬が『毒薬』なのか『妙薬』なのか、或いは『偽薬』
なのかは使う人次第なのでしょうが、わずか数十年の人生なのに
人生とは摩訶不思議なものだと改めて思う。

そして『俺はこんな人間だったかなぁ・・・』とも思うのです。
誰もが認める仕事人間・・・ 典型店な現代人の姿でしょう。

でも今日の初市に行って感じたもの、自然に思い出した遠き昔、
・・・その時代を懐かしく思うだけでなく、人としての幸せって
お金持ちになって贅沢したい、いい生活がしたい、させたいって
思って頑張ってる人が多いし、僕自身もそうして生きてきたけど
幸せを感じられることはありませんでした。

それが60才を過ぎて、搬送に向かう車中だったり、仕事が完了
してホッとした瞬間だとか、自分がちゃんと動ける心身の健康が
あると自覚した時だったり、とにかく何気ない瞬間、瞬間なんだ
けど、何とも言えない『幸福感』を感じるようになりました。

自分が豊かになる事ばかり見てきた強欲さが少し消え、62才に
して普通に動ける心身の健康と、生き甲斐にも繋がる仕事があり
そんな自分を頼ってくれる人達がいて、その人達が自分を動かす
原動力になっている・・・そんな気がするのです。

僕の場合、年齢的な部分が強欲さを抑えるというか、諦めさせた
のだと思いますが、強欲の壁が消えたことで、その向こうにある
本当の幸せのようなものが見え始めているのかもしれない。

僕が60才過ぎて初めて分かった事がある。
強欲な自我を諦めたとか、諦めるしか無かったとか、なんらかの
理由で乗り越えた時、その向こうに欲を知らない幼き頃、誰もが
経験した超シンプルな幸せが見えてくるし、その小さな幸せって
本当は自分をスッポリ包んでくれるほど大きいと思えてくる。
もしかしてそれが『悟り!?』かな・・・



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