親から引き継いだ人以外で葬儀社経営をする人達は、自ら進んで
葬儀業界に入った人達だろうと思う。
ようするに好きで始めた仕事だと思いますが、僕の場合は好きで
始めたわけでなく、仕方なく始めたのが葬儀の仕事です。
だから葬儀のその字も知らないほど、ど素人だったにも関わらず
業界の先輩達から教わることも、学ぶことも考えませんでした。









ただ流れが葬儀を仕事にしろ! と言わんばかりの流れだった為、
やるしか無かった・・・それだけのこと、後で書きますが千明の
生きる道さえできれば、すぐに辞めるつもりでした。

ただ葬儀の事は全く分りませんでしたが、文学や小説は一度も読
んだ事の無い人なのに、20代始めに出会った『ディールカーネ
ギーの人を動かす』『ナボレオンヒルの成功の哲学』から始まり、
経営の神様と言われた松下幸之助さんの本、当時日本最大のスー
パーであったダイエー創始者の中内功さんの本などは好んで読ま
せて貰いましたが、両者の本に共通して出てきたのが『法華経』
という仏教の本だった事から、キリスト教も含め宗教関連の本は
なぜか20代に読んだ経緯があります。

ただ信仰心で読んでいませんから、書かれた内容を鵜呑みにせず、
俺はこう考える・・・という読み方だったと記憶しています。

あんしんサポートの礎となる根底を理解して貰うには、僕の人生
経験から書かないと理解できないでしょう。 

正直ちょっと面倒ですが、どうせかくなら読んでくれた方々だけ
でも『なるほどねぇ』と理解して頂けるよう手抜きせずに、書き
進めてみたいと思います。 読む側も大変でしょうが、頑張って
読み進めて頂きたいと思います。

『人生とは、いつ想定外の経験をするか分からない』

魚屋さんからスーパーになった会社の跡取りとして育ちましたが
中学3年、15才のある日家業が倒産・・・
その時に蒸発した父親が逝去、残した遺言の開封に立ち会うか、
委任状を書いて送るようにと八王子裁判所から手紙が届いたのは
蒸発から37年後、僕が52才の時でした。

仕事の都合で行けませんでしたが、立ち会ってくれた妹の話では
最後を看取ってくれ、長年連れ添った女性がいたそうです。
ただ子供はいないと聞き、父親は74才か75才の逝去ですから
70代のお婆さんが1人残ったと思いました。

何ができるか分らないけど、父親の最後を看取ってくれた方です
から、とにかく一度会ってこれからの人生どうするのか聞いたり、
ついでに空白となっている父親37年間の話しを、聞かせた貰う
つもりで転居先の神奈川まで会いにいきました。

会ってみると父親より僕のほうが年が近く61才だし、これから
先の人生は心配ないと分り安堵しました。
ホテルをとり一晩中話しを聞かせて貰いましたが、父親は自分の
葬儀は全て手配してあり、遺骨の処理まで全て決めてあったよう
でした。 遺骨はハワイの海に撒いたそうです。

たった一人で火葬だけのお葬式、遺骨はハワイに散骨と聞かされ
当時は暗いイメージだと思いましたが、父親に言われた通りにで
きたという満足感と、今でも彼が近くで見守ってくれている気が
すると感じているようで、そこには満足感と安堵感がありました。

たった一人で火葬だけの葬儀・・・
葬儀とは祭壇に向かって、僧侶が読経を唱えるものだと思ってた
当時の僕には理解できない感覚でしたから、前橋に戻るとすぐに
葬儀について調べましたが、欲しい情報は得られませんでした。
得られるのは宗教者からの葬儀定義だけ、葬儀社のホームページ
でも全て宗教者の受け売りだけですから、僕には偏った情報だと
思えましたし、今でもそう思っています。

ならばと葬儀に使用する葬具類も調べますが、棺が何処で売って
おり、原価はいくらなのかさえ全く分らないのが葬儀業界でした。

『葬儀の道に進むべきと言われてるような流れと人の出会い』

そこで僕の経営する美容室の中から、葬儀社に勤務するお客様が
いたら社長室に連れてきて欲しいと店長に頼んでおきました。
店長に連れて来られたのが、当時は大手葬儀社に8年間勤務して
美容室のお客様だった千明(ちぎら)なのです。

僕の中に湧いた疑問、不満、嫌悪感、高過ぎる料金や営業方法等
互助会を始め現葬儀社への不満や疑問を全て千明にぶつけました。
すると予想した反論はなく、その通りだと思うと予想外の展開に
気を良くした僕は、何度も立ち寄って貰ったのです。

何度か葬儀社批判をしたある日、突然千明から言われました。

「オーナーちょっと良いですか? 葬儀屋をはじめませんか?」

「はぁ!? 僕が葬儀屋ですか、嫌ですよ。死体見たくねぇし」

「ですよね・・・ただ何度か話しを聞いていると、まさしくその
通りだと納得してたら、今までの仕事が人を騙してるような気が
して・・・できなくなちゃったんですよ」と言われた。

『つまんねぇこと言っちゃったなぁ・・・どうしようかなぁ』と
思いましたが、仕事が出来なくなった原因が僕の自己満足にある
としたら、何とか千明の収入を確保してあげる必要がある・・・
しかし葬儀の仕事なんて絶対嫌だから、葬儀関係の仕事を見つけ
る為にと『葬儀社』と『寺』は何ヶ所も行って話しをしました。

葬儀屋さんに聞くと、葬儀した家族はみんな喜んでくれると言う。
寺で話しを聞くと布施はお気持ちだと言う。

始めは言葉通り素直に聞き、やっぱ葬儀の仕事をする人達は我々
とは違って奉仕の心を持った素晴らしい人達だと思いました。
・・・が、しかし・・・
その後、葬儀経験者110名から話しを聞くと、ほぼ全員が葬儀
代金が高過ぎる・・布施が高過ぎると言うのです。

そこで初めて建前と嘘を知り、尊敬の念まで抱いたのかと思うと
腹も立ってくるし嘘つき集団だと思い始めます。
問題なのは自分達は嘘つきだと思ってないし、葬儀屋さんは人の
嫌がることをしてあげてるのだから高くて当然感覚だし、僧侶は
自分が偉いと思ってたり、わずかな修行が凄い修行だと思ってる
から始末が悪い。 和食の板前、各種料理人、様々な職人修行の
ほうが遥かに大変だと思うが・・・

『葬儀は家族の為にあらず、葬儀社と宗教者の為と知る』

この当時、2030年対策についても話しましたが、ほぼ全員が
偉そうな事を言うわりに、未来予測はとんちんかんだった事も、
独自の路線を進もうとした理由のひとつです。
簡単に言えば、どちらも欲深い商人にしか見えませんでした。

それでもきっと良心的な消費者目線の葬儀社はあるはずと考え、
消費者目線の葬儀社を発掘し、消費者に紹介する仕事をすれば、
千明が食うくらいの利益は得られるだろうから、それが出来たら
僕は身を引けば良いと考える。
後々のことを考えると紹介だけでなく、自社施行もできたほうが
良いし、人を入れた場合、頭の回転の良い、腹黒い奴だったとし
ても好き勝手し難くするには、縛りがあったほうが良いだろうと
NPO法人として4月に申請、まだ法人化前の6月には、知り合
いを通して葬儀依頼が入ってきたのです。

当然、我々は何もできませんが、葬儀なんて何処でも大差ないと
近くの葬儀社に頼んだところ、ど素人の僕が見ても最悪の葬儀、
尚且つ100万円以上と決して安くはないと分りました。

更に葬儀後に分かったことですが、僕らへの紹介料3万円ほどを
別途家族から受け取ったと聞き、僕に怒りの火がつきます。
これが自分で施行すると決めた瞬間でした。

『本物の家族目線を決意』

そこから葬儀屋人生がスタートし、今に至るわけです。
寺の宗教者と葬儀社に対しては、どんなに素晴らしい事を言った
としても、そのあとに高額料金がついてまわります。

当時の葬儀屋は寺の言いなりでしかなく、寺は偉そうに葬儀して
やっている感まる出しで、どちらも信頼できる人達でないだけで
なく家族の事など全く考えてなどいません。

ある寺の住職は「金がねぇって言うから5万円で葬儀してやった
事だってある」と自慢げ言い、その言葉を聞き呆れました。
お金の無い人にとって5万円がどんな金額か全く分ってない。
5万円でしてやった? なんで1万円とか無料でしてあげない。
これが葬儀屋と寺に対する本音でした。

『行政に対し言葉でなく行動で示す』

一方、葬儀はどう考えても福祉として考えるべきだと思った。
その理由は誰でも必ず一度は通るが、二度通る人はいないのと、
少子化から子供を産めよ、増やせよと言うが、子供を何人も産み
育てるのは大変だと、総理を始め理解してなのが日本でもある。

県や市は人口を増やそうと、他県からの移住を促進したいらしい
けど一番簡単なのは、人生最後の時が来ても心配要らない群馬県
であり、前橋市にするべきだと思ったが、行政の人達はそうでは
ないらしい・・・国保から支給される葬祭費が5万円ですから、
5万円で火葬できれば一銭も無くても死ねる・・・
終幕間近の老人にとって、死後費用の心配が無用なら、どれだけ
気が楽になるかと挑戦した結果5万円火葬を可能としたのです。

消費税の引き上げと円安と便乗値上げで5万円火葬の存続は出来
なくなりましたが6.9万円火葬はいまでも健在です。

駆け足で書きましたが、以上あんしんサポート設立に至る話と、
ど素人が自ら葬儀施行をすると決意したきっかけ、更には葬儀の
世界に家族目線など存在せず、業者と宗教者の為に葬儀があると
確信したことで『家族目線の葬儀を実現するNPO』を目指して
歩んできた9年間なのです。

『宗教者と葬儀社の為の葬儀・・・』

・お金が無い人からは貰わないと言う僧侶、金のある無しは一体
 どこで見極めるの? 金が無いと言ったら「分かりました」と
 言いますか? 言わんでしょ。 くちさきだけの言葉です。

・戒名が無いとあの世に行って浮かばれないと堂々と言う僧侶、
 自分がどう思うかは勝手だけど、一般人に対しては霊感商法で
 しかないことに気づきませんか?

・故人の為、故人の供養と追加させる葬儀社、自分の為でしょ?
 それこそが霊感商法だと気づきませんか?

でも商売だと言うなら、これらを否定する気は全くありません。
当然のことだと思います。 但し商売だと明言した場合です。

『なら家族目線の葬儀もあってしかるべき』

葬儀をする家族には味方が殆どいません。
葬儀社と宗教者は書いた通り、実例を挙げればいくらでもある。
本来味方であって欲しい親戚も、敵に近いほうが多いのが現実。
くちは出すけど、金は出さないのが典型的な例でしょう。
隣保も一緒、この辺りの習慣が・・・と家族の生活よりも慣習を
優先する姿勢を最初から示してくる。

家族にとって、家族目線で味方になってくれる人はいないと知り
現状の財布事情と、葬儀後の家族の生活を最優先した葬儀を提唱
する葬儀社の必要性を強く感じたのと、後は僕の性格でしょう。

『人に何かをしてあげた時、本当に喜んでくれる姿を見ると、
良かったぁ、と、なぜか自分自身が嬉しくなる性格』

毎年のおせち作りは、この感覚の典型のひとつでもあります。
正直なところ、お利口さんな性格ではありませんが、持って生ま
れたものなのか・・・生きてきた過程で培ったものなのか・・・
分かりませんが、僕にとっては非常に楽な生き方なのです。

さて次回はいよいよ『葬儀とはなんぞや』の具体的な部分です。
前回、今回の内容を頭に入れた上で、読んで頂けると理解し易い
だろうと思います。


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