2日間は空っ風群馬でしたが、日曜日は快晴で穏やかな日です。
天気も穏やかですが、葬儀もなく身体も穏やかで、ついでに心も
穏やかな年末になっています。
年末までの一週間と、せめて正月2日までは何事もなく、過ぎて
くれたら・・・穏やかに過ぎて欲しい・・・が本音です。
ほんの数年前まで無かった心境、少し前まで年末年始だけでなく
上に書いたように10日間葬儀はひとつもなくて良い・・・
なんて思ったこと無かったし、葬儀依頼が少し空けば不安が湧き
あがってくる・・・そんな1年間を過ごしていました。
忙しければ心身ともに疲れて大変ではありますが、その大変さが
大きければ、大きいほど心の安心感も大きくなりました。
暇な疲れより遥かに良いと思ったし根本的には同じだと思う。
それがこの数年、特に今年は急激な変化をしている。
会員さん以外は、無理してまで依頼は受けたくない・・・
正月2日間くらいまでは、ゆっくり過ごしたい・・・
あんしんサポート設立から9年目、初めて感じている感覚です。
初めての心境には2つのポイントがあるような気がします。
ひとつは、以前書いたように施行数では対前年比を9月15日で
超えたこと、設立9年目にして3か月半を残して対前年比達成は
精神的にも余裕が生まれるし、多分、経理的にも余裕が生まれた
でしょう (経理は千明担当なので詳細は分かりません)
但し・・・この部分に関しては今年限定かもしれません。
もうひとつは、僕の著書にも毎回書いている言葉があります。
『人は執着を捨てれば楽に生きられる』
自分の言葉なのに変な話しだけど、この意味が言葉だけでなく、
身体で分かってきたのだと思います。
『執着』とは
固守すること、ひとつの事に心を囚われ離れられないことです。
裕福だった過去の自分『昔は金持ちだった・・・etc』
頑健だった過去の自分『優れた心身の健康があった・・・etc』
或いは『美人だ、美男子だともて囃された若き日への執着』とか
『最愛の人に愛された時への執着』もあるでしょう。
これらが遠き良き時代と、過去になっている人なら、何の問題も
ありませんが、過去に縛られてる人、執着を捨てられない人には、
自分を苦しめる存在でしかありません。
この言葉の原型は今から45年ほど前、僕が16~17才くらい
の時に母親達を客観的に見ていて生まれたものです。
人が羨むほど裕福な生活が、ある日の夜12時を過ぎると部屋に
飾ってあった額縁すら差し押さえの紙を貼られ、ポケットの小銭
だけしかない生活に変わった・・・
多分、中学生の僕自身が立ち直るまでに数か月は掛かったと思う。
学校に行くと僕の心境を察して、その部分には一切触ず、今まで
通りに接してくれた親友達の心遣いが嬉しかった。
お陰で今までが普通で無かったこと、何も無くなった今が普通な
のかもしれないと思えたし、過去の生活を引きずらずに済んだ。
倒産直後から離れて暮らした母親や姉妹の引っ越し先に顔を出し
たのは、それから1年以上の時が経っていたこともあり、初めて
行った借家だったせいか、他人の家に行ったようだった。
離れてから一度も会いに来ない母親だったせいか、僕の心も離れ
よく言えば客観的、悪く言えば他人のような感覚で話した。
母親や姉妹から出る言葉の多くは過去への執着でした。
「倒産さえしてなければ・・・」
「前なら・・・」
こんな言葉が出る度に頷き合う家族達でしたが、僕だけは違和感
のほうが強く感じられました。 と同時に父親の悪口を言う家族
への反発もあり『昔のことなんて言っても始まらねぇ、こいつら
悪口とタラレバだけだな、何だか哀れに思えてくる。 家族と離
れて住む選択をして僕のほうが楽に生きてる気がする』
これが『執着さえ捨てれば楽に・・・』の始まりです。
貧しい生活なら、豊かになりたいと思う、少し豊かになると更に
豊かな生活を目指す・・・勿論、ある意味大切で必要な感覚です。
だから人は頑張れるのだとも思う。
でも・・・花が咲けばいつか枯れるように、どんなに美人だった
人でも、ただのお婆さん、お爺さんになるし、どんなに一生懸命
仕事をしても様々な事情で倒産することだってあるのです。
中学生の僕が倒産を経験し、その暫くあとで家族を見て、当時の
自分を客観視して、そこから得られた教訓こそが・・・
『人は執着を捨てれば楽に生きられる』だったのです。
何も無くなったように思えたのは一瞬でした。
『俺には辛い心を理解してくれる友人がいる』
『人並以上に運動のできる身体がある』
『とりあえず人並の頭脳もある』
『過去は過去、今更変えられないけど未来は自分で創れば良い』
当時はここまででした。
年齢を重ね、収入も増え、人の上に立ち、社会的地位も出来と
色々な経験をさせて貰った後で始まったのが、あんしんサポート
だったのも幸いしたのでしょう。 項目がもうひとつ増えました。
ようやく年老いてから得た感性、それこそが最大のものでした。
幸せとは特別な中にあるものでなく、平凡な生活の中にあるもの、
平凡な生活を続ける為に必要なのは『心身の健康』『生き甲斐』
『普通に食える収入』『守るべき者』そして自分を苦しめるのが
様々な執着なんだと思う。
これが今年の年末に於いては、穏やかに過ごせている理由です。
と言いつつも、電話が1本入ればドタバタ劇場の始まりですが・・・
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります