いよいよ今年も、あと1カ月となりました。
1年を進むスピードが年々加速されている気がします。
ところで、、懐かしい言葉を耳にしました。
『お客様は神様です』
今は死語ですが、決して良い意味でなく残っています。
久しぶりに聞いた言葉なので、今日はこの言葉を語ります。
僕が年間20人~の依頼を断っている人達に、共通しているのが
依頼者自身の中にある『お客様は神様』感覚です。
最初に言ったのは歌手の三波春夫さんだと思いますし、日本人に
受ける言葉だとは思います。
ただ僕の中では一度も思った事のない心境です。
あえて言うなら『利己主義者』が『客』という立場に立った人の
本質だと思っています。
勿論、僕も客の立場なら『完全なる利己主義者』です。
『お客様は神様です』こんな言葉を使う経営者がいるとしたら、
媚を売っているか、完全なる建前か、いずれにしても良い人とか、
いい店だと思われ、消費者が沢山来てくれる為の手段だと思う。
でも消費者とは、そんな見え透いた言葉に惑わされることなく、
それほど単純ではなく、それほど馬鹿ではありません。
損得勘定に於いては、商売している側より遥かに研ぎ澄まされた
感覚を持つプロとも呼べるほど洗練されている人達です。
非常に冷静で、計算高く、時に残忍な感覚を持っています。
それは一部の人でなく、僕も含めた圧倒的多数が持つ感覚です。
以前のブログで『消費者に適正料金など無い』と書いた事があり
ますが、適正料金という言葉を使うのは企業側だけです。
消費者は『ただ』まであり、無料、ただ、ゼロ円、などの言葉が
大好きな人達なのは世間を見渡せば分るでしょう。
『消費者は自分が得をする所にしか行きません』
・あなたの家族や生活を守る気など毛頭ありません
『自分が得する為なら多少のリスクはいといません』
・安く買えれば数時間でも並びます(食べたい時も並びます)
・10円安い物を50円のガソリンを使っても買いに行きます
時に残忍な状況とは・・・
閉店セールに群がる消費者はその典型です。
一度も行った事の無い店でも、閉店セールなら行きます。
この人達がいつも通ってくれてたら、閉店はしませんでした。
消費者とは自分の利益のみ追求する完全利己主義者なのです。
この人達に『お客様は神様です』なんて店側が言ったら、どんな
事が起こると思いますか?
間違いなく『クレーマー(苦情を言う人)』を生み出します。
それも一般常識でなく、利己主義感覚からのクレームでも平気で
言うようになるんじゃないかな、経営者は良かれと思い、消費者
から選ばれる店になりたいと放った言葉に自分の首を締められる。
これが持論であり、長年この感覚で事業をし続けてきました。
前職も含め、潰れずにきたのですから問題ないようです。
武井が代表を務める あんしんサポートはどうしているか。
ブログも含め、何度も書いているように好きで始めた訳で無く、
父親逝去の知らせをきっかけに嫌々始まった葬儀の仕事です。
この仕事で何とかせねば・・・なんてのは全くありません。
当時は株式会社の社長業をしてましたから、葬儀屋の仕事なんて
したくもないし、駄目なら辞めれば良いだけのこと・・・
『良し! 俺が思うままの商売して辞めればいい』
『その間に千明の食いぶちくらいは作ってあげられるだろう』
実に単純な感覚ですが、この感覚こそが『背水の陣』でした。
まずは僕のしたいようにするとは・・・
『利用者に頭は下げない、媚を売らない、嫌なら受けない』
続いて葬儀ってなんだ!?と考えた。
父親は火葬だけの葬儀だったけど、自分の思う葬儀を指示して、
その指示通りにした人も満足している・・・
葬儀はお坊さんが祭壇に向かって読経するものだと思ってたけど
どうも違うらしい・・・ 人によって価値観は違うから葬儀にも
同じことが言えるのかもしれない・・・
現行葬儀は高額だと人は言う・・・なんで金が掛るんだ??
人が生まれりゃ、死ぬのは自然の摂理、長年に渡り市県民税を払
ってきたのに死んだら自費かい!? 葬儀をしろとは言わないが
焼骨までは行政がすべき事だろ? 全国民が一度だけ利用をする
これほど平等な福祉はないだろ? なのに、、なぜやらん??
そこで、110名の葬儀経験者に葬儀の『疑問』『不満』『希望』
そして『後悔』の本音も聞かせて貰った結果が以下でした。
第一位 圧倒的多数が「思ってた以上に葬儀代が高い!」
第二位 寺への布施が高過ぎる
第三位 葬儀社の言いなりになった事が悔やまれる
第四位 親戚に気を使ってバタバタして、気づくと葬儀も終わり
焼骨になっていた。 自分達が送った感じがしない・・
これらの話しは、僕の中にもストレートに入ってきました。
ってことは俺は葬儀の素人だけど、依頼する人も素人なのだから
素人感覚のほうが大事なんじゃねぇか!? そして・・・
『俺は素人、依頼する家族も素人、だから素人感覚が良い』
1. 一銭も無くても死後の心配無用が最終目標
我々の存在は弱い消費者代表のようなもの、感謝はされても、
頭を下げる必要などない。 お客様になりたい人は既存の葬儀
社に行けばいい、間違いなくお客様扱いしてくれるはず。
料金は数倍だろうけど、それが商売というもの・・・
2. その為のリスクは利用者にも背負って貰う
入会は来館が前提、支払いは当日か翌日、我がままは聞かない、
入会寄付金3.000円(パンフ印刷、各会員宅へ配布費用に使用)
※支払いが当日が翌日なのは、各業者への支払いは当日に行って
いる為です。 業者さんも零細企業が多く資金繰りは大変です
から、料理や花は持ってきた日に払うのが基本です。
3. 行政より先んじて、可能な限り費用の掛からない葬儀作りと
残る家族の生活に支障の出ない個々の葬儀設定をする
最高の葬儀パックとは『必要最低限の物だけセットされ、後は
全て我が家の感覚で追加できるものなり』
個々の単価が抑えられたら、これが究極の葬儀パックです。
読んで頂けば分るように、業者目線は最初からありません。
また業者感覚を知る必要もないと考えていました。
この考え方は今現在も全く変わっていません。
だから普通の葬儀社が何を考え、何をしているか知りません。
知る必要もありませんし、不便さを感じたこともありません。
毎日のように来館される人達の半数以上は葬儀経験者です。
過去の葬儀での『後悔』や『失敗談』はいくらでも聞けます。
最高の情報元が、わざわざ来てくれ、個々の心の中にある本音を
吐き出してくれるのです。 その言葉を頭に叩き込み、ひとつ、
ひとつ実現し続けるだけです。
結果として『独自の強み』や『差別化』になっているのでしょう。
その結果として我々が得られるもの・・・それが
『頭を下げず、感謝もされ、生き甲斐にもなり、飯が食える人生』
今の時代に於いてはの限定付きで、成立している経営手法です。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります