片道2時間の距離と家族が言う病院へのお迎え依頼が、先日あり
行ってきました。
以前に書いた家族から、午後5時過ぎ対象者である娘さん逝去の
一報が入ると、搬送の準備を整え6時少し前に出発です。
丁度帰宅時間にぶつかり、前橋市内を抜けるまで少し渋滞もあり
ましたが、スマホのナビで確認しながら、あとは一本道を走れば
良いだけと分りました。
しかし途中の山道は走ったこともなく、街灯らしきものもなくて
真っ暗な山道を走る場所もあります。
途中、ショッピングモールがあったり、明るい地域を通過した時
「あと、どれくらいなの?」
「ナビでは、あと1時間くらいですね」
「え、まだ1時間も掛るんだ、ほんとに2時間掛るんだね」
「2時間って、都内までの往復時間だよな・・・」
途中の標識には『吾妻渓』の文字があって、昼間だったら紅葉が
綺麗なんだろうとは思いますが、真っ暗なだけ・・・・
スマホで用事があったので、途中で千明と運転を交代しましたが
寝台車は5速マニュアル、しかし免許取得時はマニュアル車だと
言ってたのに、ブァーン、、発進する度にふかし運転です。
燃料は半分より少し下でしたけど、心配になったら途中のスタン
ドで給油すれば問題ないと思ったのは大間違いでした。
途中もなにも真っ暗街道だし、たまにあるスタンドは全て閉店、
そっか、、この辺のスタンドは夜間営業してないんだ。
用事が済むまで20分ほど運転を代わって貰いましが、あまりに
ふかすので運転を交代すると千明が言います。
「最初は駄目だったけど、結構上手になったでしょ?」
「・・・・」
あと数分だとナビで確認した千明が言った時、道路脇に温度計が
あり『1℃』の表示を発見、、「ん? 今1℃じゃなかった?」
「確かに、、故障してるのかも・・・」「だよな・・・」
そんなやりとりをしながら到着したのは、きっちり2時間後です。
地域の中では結構大きな病院なのでしょう。
ストレッチャーに乗せ、搬送準備が整うと、院内の一角を借りて
死亡診断書の申請者欄を記入させて貰います。
家族が前橋まで来ても、申請者欄を記入するだけですから・・・
記入している間に看護師さんに訊ねます。
「途中の道に温度計があって1℃って表示されてたけど、あれは
故障ですよね。 実際は何℃くらいですか?」
「いいえ、それ合ってますよ。どちらからいらしたのですか?」
「あは、、前橋です・・・」
『合ってるんだ・・・1℃って真冬の夜中の気温じゃん』
家族から労いの言葉を頂き、すぐに前橋に戻ります。
病院近くは1℃、30分ほど走ると3℃、半分くらいの距離にも
温度計を発見すると6℃と段階的に気温があがります。
そして前橋に到着してみると気温は13℃でした。
調べると、わずか60数キロの距離でしかありません。
きっと少しづつ登っていたのでしょう。
あとで分ったのですが標高が1000m近くありました。
帰りながら千明が言います。
「昼間だったら、きっと紅葉が綺麗で最高の景色でしたよね」
「うん確かにな、けどこの時期は観光客も多いし、ゆっくり運転
しながらだろうから、あと1時間くらい掛るんじゃねぇ」
「ですよね、時間掛けちゃ悪いってこの時間の逝去ですかね」
「そうかもなぁ」
片道2時間、往復4時間でしたが、1万円の地域加算だけです。
なんだかなぁ、とも思いますが追加も含め明確に提示してある為
安心できる県民の方がいるのも確かです。
火葬も終わって手元供養用の焼骨を取分ける為、来館してくれた
家族がショッピング袋に20個ほどのみかんを持ってきました。
聞くと前橋の自宅の庭に実ったみかんだと言います。
「みかんって・・・食べられるの?」
「はい、きっと代表さんが思ってるより、ずっとみずみずしくて
美味しいですから食べてみてください」
群馬県でみかんが採れる・・・
子供の頃ならあり得ないことです。 温暖化。。。ですかね。
家族は笑顔と涙を繰り返しながら、感謝の言葉を何度も述べても
くれましたし、前橋に住民票はありますが、普段生活をしている
吾妻という浅間山の近くに来ることがあれば、電話一本くれたら
すぐに迎えに行きますから・・・と言っていました。
そしていつものように・・・
「少し仕事量を減らしても良いように、もう少し値上げしても良
いですから、私達の時もお願いするんだから、健康にだけは注意
して、いつまでも続けてくださいね」と言って帰られました。
余談ですが、話の途中で病院指定なのでしょう。
葬儀屋さんが逝去前からスーツ姿で待機していたそうです。
「うちは前橋から来てくれますから・・・」と看護師さんに伝え
ると帰ったようですが、まだ逝去前なのにと家族は良い気分では
無かったと言ってました。
スーツを着た葬儀屋の人が逝去直前の病室前で待機・・・
他社に葬儀をとられない為の手法なのでしょうが、自分から営業
するばかりでなく、家族から聞きに来る方法を考える必要がある
のかもしれません。
うちのように、一切営業せず、突然来てもいない事のほうが多く
予約して入会に来るのが当り前の葬儀社も珍しいのでしょうが、
そこから学べる葬儀社もあるでしょう。
『人は自分が欲するものは、多少のリスクはいとわない』
・どうしても食べたければ1時間でも2時間でも並んで食べる
・乗りたい遊戯も同様、1時間並んでも乗る
・僕が最初に開店した美容室は2時間待ちが当り前でした
そして、ちょっと言い過ぎの感はありますが、
自分達に必要な葬儀社なら例え片道1時間以上走っても・・・
『予約』し『来館』し『3000円の寄付を』し『入会』する。
どうせ葬儀をするなら、他でなく○○葬儀社でするべきだと利用
する家族が思い、その家族が増えれば増えるほど、高額な費用を
掛けたり、自分でポスティングしたり、色んな場所にチラシ等を
置いて貰ったりしなくても、依頼はくるということです。
葬儀社のチラシやポスティング効果、長期でみればもっと上がる
でしょうか、直近ではせいぜい0.01%有るか無しじゃないかな。
但し同じ葬儀をするなら・・・この感覚、経営者自身がどんなに
思っても駄目で、利用者目線で、利用者自身が思えなければ全く
意味はありません。
全業種、全職業で言えますが、自画自賛するほど利用者や
消費者には伝わらないし多くの場合、消費者にとってはそれ
ほどのもんじゃないって事です。
あげくの果ては、お客が馬鹿だくらいの事を言う始末です。
自分が間違っていると、自分では気づかないものです。
利用者土俵、消費者土俵に立つのは簡単そうに思えますが、
消費者自身、会員自身が事業者の意図と同じレベルで自分達
依頼者の事を考えてくれていると思って貰うのは難しいです。
ちと意味は違いますが、前回ブログで千明に確認して貰う前に
アップしましたが、10か所ほどは誤字脱字オンパレートでした。
営業方針、設定パック、料金、ブログや著書の校正など何事に
於いても補助、補佐、助言をしてくれる存在は必要です。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります