用事を済ませて事務所に戻ると、49日法要に来られた会員
さんから「代表の言葉を一言一句覚えていようと思うけど、
言ってるそばから忘れちゃうからから本を買って帰りたい。
ブログも毎日見ています」と千明が言われたそうです。
そっかぁ、ブログを見てくれてる会員さんも増えてるんだぁ
と改めて教えられました。
結構長いこと書いていますが、基本の目的は2つでした。
『自分が何を考え何をしてきたか後で嘘の言えない日誌』
『創業者の想いと実践記録を残し、後継者に伝える沿革誌』
それと最近は、全国で家族目線の葬儀を実践したいと考える
葬儀社さんへのメッセージも増えています。
が、肝心の会員さんへのメッセージは少ないですね。
・会員さんの年令は高くネットに縁の無い人が多い
・余裕の無い会員さんも多く、これまたネットは無縁
実に失礼な話ですが、固定概念を否定している自分自身でも
こんな概念に捉われていたようです。
考えてみれば対象者は高齢でも、その子供達は僕より若い人
だって多いのですから、僕が出来るなら当然ネットをしてる
人達も沢山いるってことでした。 ほんと、ごめん・・・
この会員さんが言った僕の言葉を忘れないとか、思い出して
という話は時々ちぎらから聞かされます。
その多くは下記2つの条件下で話したことのようです。
》事前相談や葬儀の期間中に話した事
皆さんは感動もしてくれるようですが、話しを思い出して
みれば分りますが、殆ど当たり前の事しか言っていません。
・他宗教、無宗教からみれば偏見と言える宗教観は言わない
・儲けたいが為の誘導商法と霊感商法はしない
・各家族毎に抱える条件下の中で客観的に見て最善と思える
方法や段取りを話すだけ
とにかく今ある自分達の人生、生活を最優先する事です。
無責任な世間や親戚の感覚はどうでも良いのです。
『あなたや家族が無理して世間や親戚の言いなりになったと
しても、後の生活や人生の面倒はみてくれません。 自分の
家族の生活を守り、どんな人生にするかは自分達次第です』
そして・・・
『葬儀は式や形が大事な訳ではありません』
『温かく送りたい心があるだけで充分です』
『余裕が無ければ火葬だけで充分です。雑音は気にするな』
『供養にお金は掛かりません。遠く離れても供養はできる』
さらに・・・
『迷ったり分らなくなったら、迷わずあんしん館においで』
『きっと心がスッキリして笑顔で帰れるよ』
『会員さんは、あんしんサポートが存在する限り安心です』
※但し留守が多いから電話予約してからね
以上の言葉を忘れないでください
そして元気な笑顔で日々の生活を楽しんでください。
死の心配など無用、望まなくても勝手にやって来るもの。
もうひとつは
》湯かん納棺の時に話した事
本来あるべき葬儀とはや、本当の供養について等は、目から
ウロコ感覚なのでしよう。
また聞けば分りますが、本来なら僧侶が話すべき内容が多く
へぇー、そうなんだぁ、なるほどぉ、が多いようです。
では、なんで他の葬儀社の人達の話しで感動せず、僕の話に
感動や納得をするか・・・分りますか?
単純明快です。 僕の話しは『商売感覚』が無いからです。
利用者には最も望ましい感覚であり・・・
商売人としては決して褒められた感覚ではない・・・
これを可能にしているのは、僕の性格と年令と生き様が影響
しているのだろうと思います。
その中で一番強く影響しているは、お金も無く、頼れる人も
なく、全てを自分で稼ぐしか無かった高校1年生の頃かな、
人の冷たさ、人の温もりを最も敏感に感じられた頃でした。
でも当時は『若さと体力と気力』はありましたから、何とか
成りましたが、一人住まい、頼れる人の無い老人にとっては
『老い』『病気』『痴呆』『金欠』は悪魔のようでしょうし
『死』と『死後費用』と『死後処理』については、どうする
事も出来ず、考えたくもない・・・が本音かもしれません。
過去の経験からか、何となくそんな心境が分る気がする。
今は金がない・・・
今なら少しある・・・
今はそこそこ余裕がある・・・
こんな経験なら多くの人がしているはず、なのに他人事だと
好き勝手を言う人が多いのが世の中の常・・・なんでやねん
だから、その辺の感覚が葬儀設定にも現れています。
その辺りは次回に書いてみます。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります