28日は朝10時火葬が2件、10時30分から湯かん納棺
そして家族葬と続く為、午前8時シャワーを浴びようとして
歯磨きを始めた途端、風呂場の戸が開いて、うちの奥さんが
携帯を付き出している。
すぐにシャワーを止め電話に出ると「搬送依頼です」といつ
もの千明の声「えっ、何時に何処?」と聞き返す。
「日赤病院6階ですが、これから処置だそうです」
「9時30分過ぎにお迎えに行くと伝えて」と電話を切って
急いでシャワーを浴びて出勤すると、昨夜は館内に泊まって
くれた千明は、すでに準備を始めていました。
湯かんの準備を終えると、すぐに納棺安置の準備を済ませて
午前9時20分斎場に行き、2件が火葬炉前で最後のお別れ
9時30分、待合所に案内すると、拾骨を各担当者と家族に
お願いして、日赤病院に向かう。
搬送して帰ると、10時30分からの家族は数名来ているが
安置室に搬送、納棺安置を済ませ、死亡届の準備に入る。
書き終えると、千明はすぐに市役所に向かい霊安室冷蔵庫を
利用する手続きをするよう向かう。
午前10時30分、湯かん納棺が始まり、いつもの納棺師を
するが、湯かん納棺んが終わっても千明が戻ってこない。
午前11時30分に菩提寺到着するが、納棺終了まで待って
貰い11時40分に葬儀用に式場変更も終える。
その時、式場外に出ると「あのー、入会に来たんですけど」
と初老の女性もいたが、とても時間が無いからと、あとで
来る前に電話してから来てくださいと伝える場面もあった。
しかし・・・千明はまだ戻って来ないと思っていると電話が
入り「死亡届け出書に日赤の住所記載が無く受理できない」
との事らしいもいつものお役所仕事だが、融通は効かない。
住職に司会者が市役所から戻れない旨を告げ、進行して貰う
よう伝え、11時50分過ぎ家族葬が始まる。
普段あまり慌てる事はないが、開式までの30分間は珍しく
慌てた自分がいたように思う。
式が始まると、千明も戻り式場に入ると、いつもの流れだ。
家族葬、お別れの儀、出棺、火葬、お清めと流れるのだが、
お清めで喪主挨拶を済むと、すぐに戻って寝台車に棺を積み
斎場霊安室に向かうが、日赤からあんしん館で納棺安置した
お母さんに、娘とお父さんが3時間ほど付き添っていられる
時間がとれた事になり、それもまた良しと思えました。
火葬が終わり、家族は拾骨、待合室の片づけも済むと、一旦
あんしん館に戻り、後飾り祭壇、果物、線香具一式等々積み
午前火葬の家族が一軒支払いと、墓誌彫りの予約に来館し、
もう一軒は自宅に来てくれる人達用の返礼品を取りにくる。
戸締りして、葬家に行くと自宅祭壇に焼骨を安置、家族全員
線香を供えると集金してようやく、本日の予定終了・・・
時刻は午後5時でした。
街中の家で、近くにいつも行くジョイフルがあり、そこで、
いつものように『七種の和朝食』『納豆とキャベツサラダ』
での食事を済ませるが、とにかく足は痛いし、腰は痛いし、
途中電話が数件入るが、搬送依頼は無くホッ・・・
たった2人で、100数十名の一般葬儀あり、数名~30名
ほどの家族葬が数軒、散骨込みのパック60も数軒あって、
9月は150km走る散骨と永代供養納骨も3回走りました。
数えてませんが多分20件近くの葬儀は、決して楽ではあり
ません。 ってゆーか、すでに体力的には限界です。
それでも人を増やさないのは69.000円の直葬パックだけは
守ってあげたいからです。 税込75.000弱ですが、高額な
葬儀費用が出せないと、不安一杯の中で電話で予約をして、
事前相談に来て、武井という人間と会い、お金が無いと本音を
言える人が葬儀の仕事をして、葬儀の仕事をしている人から、
無理をしなくて良いと6.9万円パックの存在を知ってホッとして
胸を撫で下ろし、安心しましたと帰った老人や、生活に余裕
の無い人達は沢山いるのです。
自分達が大変になったと、増員した事で料金が変更になった
としても会員さん達が文句は言わないでしょう。
仕方のない事・・・とも思ってはくれるでしょう。
それは分ってはいるし、無理して倒れて、あんしんサポート
そのものが閉鎖したら、もっと困るのも分っているでしょう。
それでも、出来れば6.9万円を続けて欲しいと思うのが本音
であるのも間違いない事でしょう。
またお手伝い感覚の人では、納得の葬儀提供はできません。
それも人を増やさない理由のひとつです。
時々ボランティア希望の人が来ますが、全て断っています。
全てとは言いませんが、ボランティアの多くは自分の空いた
時間にお手伝いします・・・なのです。
残念ながら、人の死はボランティアに合わせてくれません。
そしてボランティアの持つ『してあげてる』感覚無用です。
体力的には限界と感じる事もありますが倒れてはいません。
身体は辛い、けど少なくとも気力は萎えてない。
究極の料金設定を続けるとは、こういうことです。
皆さんが教えてくれと言う僕でさえ、日々本気で極端な言い
方をすれば命を削ってやっと何とかなっているのです。
冷静に考えてみてください。
62才の人間が、夜中に起こされ、明け方に起こされ、飯も
食えず夕刻まで走り回り、寝台車運転、霊柩車運転、納棺師
では1時間以上しゃべり続け、事前相談は2時間、遺影作成
パンフレット作成、ホームページ作成、各種書類作成、更に
税務の全て、散骨では150km運転、散骨、納骨、そして
葬儀は毎月十数件です。
いつ来るか分らない電話に酒は飲めません。
散骨場に行くだけでも神経を使い、旅行も行けません。
この8年間での休日として休んだのはたった1日です。
こうして8年間以上を過ごしてきた結果が今なのです。
改めてお聞きします。
皆さんは、僕と同じ事をする覚悟がありますか?
なぜ、一日の日記のような内容から始まるブログを
改めて書いたか分りますか?
本日数名の方がコメント、メッセージをくれました。
それを読んで感じたのは、テクニック的なものとか、、
マニュアル的なものを教われば何とかなると思ってない!?
と感じたからです。
ハッキリ言います。 テクニックではどうにもなりません。
初めに僕が書いたことを思い出してください。
僕は凡人ですが、凡人だからできる事があります。
それは、利用者の本音をひとつ、ひとつ、形にする事です。
これが簡単な事だと思いますか?
凡人が何とかなるには、人並み以上の労力だけは必要です。
武井という凡人は、それを続けているのです。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります