本日は朝一で火葬に入ると、あんしん館に戻り会員さんから
頼まれてる墓の図面と見積書を確認すると、結構大きな墓所
ではありますが家族の意向より50万円ほど高い為、全ての
図面引き直しと、組立、基礎作りの費用が抑えられる業者の
再設定をお願いし、現状より40万円下げるよう指示・・・
業者さんからみれば『おぃおぃ』って感じでしょうが、僕は
家族の立場にしか立ちません。
墓の石を減らす、墓石の色を変更、等々で費用が抑えられる
最善の方法を考え、それでも駄目なら他業者からの見積りを
とった上で家族に最終判断をさせる・・・
これが武井流であり、あんしんサポート会員の信頼を裏切ら
ない唯一の方法だと思っています。
勿論、利益など全くありません。 紹介するだけなら多少の
利益はあるでしょうが、業者さんを叩くのですから・・・
この規模の墓だと相場がいくらか?
何色の墓石だと相場はいくらか?
こんな事を考えた時点で家族目線からは離れるのです。
『墓のデザイン』『墓石の色』『建墓費用』『建てる時期』
それらの優先順位を家族から聞きだして業者に依頼する。
あとは家族の希望に沿える方法論だけを考え指示する。
これは家族目線を貫くひとつの例ですが、家族目線を本気で
するつもりなら絶対持ってはいけないのが『偏見』です。
相場とか、普通なんてのは、依頼者からは偏見なのです。
その最たる部分が『宗教』と『政治』を筆頭に『家族関係』
『価値観』など偏見は多岐にわたります。
まぁ葬儀を仕事にしようと考える人が、特定の宗教感覚を
公言してたら、自滅しても自業自得なのは、普通の感覚を
持ってる人なら『そりゃそうだ』と思うでしょ?
それは、多くの人から偏見だと思われるからです。
図面と見積りの確認をしていると、駐車場に車が入ってくる
のが見えましたが、家族三人での事前相談でした。
何の宗教か明記しませんが、世間では、あまり良く言われて
ない印象があり、僕自身も初めは偏見があったと思います。
しかし何十人と葬儀をし、沢山の人達と話して分ったのは、
彼らの殆どが穏やかな性格の人達だということです。
また偏見だと感じるのは、我々が慣れ親しんで無い人の死の
考え方をしているだけの事で、例えばキリスト教信者からは
線香を供えたり、戒名を付けたり、引導を渡すと大声を出す
ことなどの全てが『変』だと感じるでしょう。
最も戒名は日本以外の仏教なら『変』と思うかもですが、、
中国系の人達が普通に食べる『蛙』ですが、僕らが子供の頃
蛙を食べるという感覚は皆無でした。
しかし最近では鶏肉のようで、鶏肉より旨いという人もいる。
また僕が子供の頃は、教師とは聖職と考ていた時代でした。
先生に叱られた・・・なんて家に帰って言おうものなら、又
家でも怒られる・・・そんな時代だったのに、今は親が学校
まで乗り込んで文句を言う時代です。
先生が聖職だと考えるのも偏見だし、我が家の子に限ってと
学校に残りこむ親も偏見です。
もっと言えばお坊さんは偉い・・・何の根拠か分りませんが
そう思っている老人は結構います。 その偏見があり得ない
ほどの高額な布施をまかり通らせてもいるのです。
当然・・・葬儀も同じです。
次回、時代の変化に乗り遅れると、『当然』と思っていた事が
いつの間にか『偏見』になっているです。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります