本日の家族葬は元々は九州の方で、列席者の家族も全員
九州から来県、20名ほどの中で群馬県の人は数人です。
ご安置した時から布団の胸の位置に置かれてる『守り刀』を
見て「これは何ですか?」から始まり、枕団子は聞いてると
関東の墓団子のような感じがしますし、骨壺のサイズも関西
サイズのようですから4寸か5寸なのでしょう。
関東の7寸を見たら「大きい」って言うのかな?
地元の人同士で話していると、時々理解不能になります。
葬儀は同じ県内でも地域毎にかなり違いがあるのですから、
1000キロ以上離れた地域、慣習の違いは相当あるでしょう。
『所変われば品変わる』のことわざがビタッとはまります。
が、しかし『されど家族の心に違いなし』と付け加えたい。
午後12時~1時間かけて行う湯かん納棺の儀では、いつもと
同じように、群馬県の、、、というよりあんしんサポートの
納棺師を勤めるつもりです。
湯かん納棺、葬儀、そして自宅の後飾り段安置まで、家族の
温もりの中、全員で温かく送れる葬儀になれば良しです。
いつも言うように、供養にお金は掛かりません。
供養をしたいと思うなら、故人の事を忘れない事です。
いつもじゃなくて良い、時々で良い、故人にちなんだ何かに
触れた時、せめて正月、春秋の彼岸、お盆には思い出す。
今日の葬儀のように遠く離れた家族でも、思い出したら目を
閉じて手を合せる・・・これが供養です。
墓参りが出来なくても全く問題なく供養はできます。
今回の葬儀はお母さんですから、親とはどんなに年老いても
どこまでも親なのです。 先に逝った父親も同じです。
だから残る家族全員が、毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ
続けること・・・これ以上の親孝行はありません。
本日の葬儀後、生花や、食べ物、衣類も棺に入れて持たせ、
40年前先に逝ったお父さんへのお土産も持たせます。
来県した家族が持っていた父母の結婚式写真のを少し借りて
スキャンしてA4サイズの写真を作成しました。
40年齢を重ね90才を超えお婆ちゃんになった妻が分らないだ
ろうからと、結婚式の写真も棺に入れ言葉を添え持たせます。
・・・が、まだ家族は知りません。
お別れの儀で、戒名説明のあと、ちょっとしたサプライズで
披露するつもりでいます。
また拾骨は全国的に箸で入れますが、前橋のように火傷する
ほど熱く無い火葬場では、生理的に駄目で無かったら最後の
お別れだから、出来れば手で入れてくださいと伝えます。
確か以前も書いたと思うけど、この世からあの世への箸渡し
なるものは、単にゴロ合わせでしかないのです。
何の意味もありません。 あるとしたら後付けです。
今日も手で入れて欲しいと家族に話すつもりです。
また棺を囲んで家族の集合写真も撮ってあげたい・・・
勿論、各自の携帯カメラでね。
今年地元でもう一人のお義母さんが亡くなり、葬儀をした時
みんなが泣いて良い葬儀だったと言ってましたが、泣くこと
ばかりでなく、葬儀の中で笑ったり、泣いたりと、自分達の
感情が素直に出せるのも良い葬儀だよ・・・と言葉ではなく
実際の葬儀経験で伝えられたら・・・なんて思ってます。
さて、そろそろ準備をして納棺師から始まり、自宅祭壇まで
完了すると午後4時半頃まで、しっかり勤めたいと思います。
いつもの事ですが、たった2人で全て行う家族葬は疲れます。
終わるとグッタリするほど疲れはしますが、家族が満足して
くれる顏を見ると頑張って良かったと思うと同時に、日頃の
煩悩から少しだけ心が浄化されるような気がします。
家族目線で頑張ったご褒美は『煩悩の浄化』ですね。
すぐに染まる煩悩ですが、葬儀の度に少し浄化・・・これを
繰り返しての9年間、そんな気がします。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります