昨日のブログで疎遠だった兄弟でも終幕直前、逝去後の処理
など面倒をみた話しを書きましたが、友引の今日、あんしん
館にご安置されているお爺ちゃん82才の肉親は真逆です。

子供さんはいるようですが連絡拒否・・・
という最近では良くあるパターンなのですが・・・
大変なのは全くの他人である施設やケアマネなのです。
親子の間で何があって疎遠になったかは別として、他人様に
迷惑を掛けても平気でいられる神経を持つべきではない。
っていうか、82才の子供なら50代くらいだろうと思うけど、
その年になって尚、他人に迷惑を掛ける事が分らないのか、
それとも年だけはとっても、大人としての対応ができない人
なのか、いずれにしても理解はできないし、する気もない。

それは僕自身の経験が言わせる言葉です。
僕自身中学3年15才の時、稼業倒産で家族を捨て蒸発をした
父親ではありましたが、37年の時を経て八王子裁判所からの
逝去の一報を受けた時、亡くなった父親を拒否をするという
感覚は全く湧いてこなかったのも確かだけど、仮に恨んでた
としても他人に迷惑を掛けてまで自分の不満を押し通す事は
無かったはずである。

そりゃ、冷静に考えれば中学3年の多感期だし、高校生の時
には何を買うにも自分で稼ぐしかないとキャバレーでバイト
したり、結婚する時も親が事業に失敗し親戚にも迷惑をかけ
蒸発したから親族は出席してくれないとは言えなかった。
苦肉の策として海外で2人だけで結婚式をしたのです。
けど自分達だけの結婚式は面倒な事もなく、新婚旅行も海外
だし銀婚式には子供達を連れて教会も見せられたので、結果
オーライの良き思い出になっています。

そんなこんなで、色々大変な思いをした時期もあったけど、
父親も好きで事業を失敗した訳じゃないし、経営者としての
弱さを反面教師として見せてくれた訳だし、その結果として
今の自分が存在しているのだから、僕には必要悪だったんだ
と本音で思えるのです。 あのまま生きてきたら馬鹿息子の
まま大人になったかもしれません。

それより世間に天涯孤独だと嘘をつき、過去を消して生きる
ほうが精神的には辛いだろうと思っていました。 

僕が30代の頃、父親を探そうかと思った事もあるのですが、
父親が僕を探すのは簡単なはずです。
でも、それが出来ないのか、しないのかは分りませんけど、
探して欲しくないのかもしれないと探すのをやめました。

それでも逝去後の生活ぶりを聞き、国内外問わず、あちこち
旅行をしていたと聞き、その日暮らしではなく、それなりに
でも幸せに生きてくれてた事にホッとしたものです。

僕と同じように考えろとは言いません。
僕の父親より許せない事をしたかもしれません。
でも、もう亡くなっているのです。 
どんな人間であろうと、それは父親なのです。
今の、、今迄の過去の感情だけで、他人に迷惑を掛けてまで
拒否して自分が年老いた時に後悔はしないのでしょうか・・

人生何があるか分りません。 もしかしたら自分の意志とは
関係なく家族に辛い思いをさせてしまうかもしれません。
自分では精一杯家族を守った結果だとしても、それを家族が
全く理解してくれず全面否定されても平気な人なんですかね。

どんなにグズな親でも、親には変わりません。
その人達から自分は生を受けたのです。 
せめて、その部分への感謝からだけでも良いから、終幕後の
処理は自分達子供がするのが最善だと思えるのです。
施設やケアマネに掛けている迷惑が分らない人間だとしたら
いつか自分も同じ事をされても不思議ではない・・・
っていうかさ・・・その程度の小さな温もり位は、人として
持ち続けて欲しいし、自分の子供達にも見せて欲しい・・・


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