今朝5時過ぎに搬送の電話が入り、一日が長くなっていますが
本の完成後、初めて読んでみました。
製本されたものが届いた時、読み始めて誤字を見つけ読むのを
止めてから一度も開いていませんでした。 10ページほどしか
読んでいませんが、ブログに書くべき内容が見つかりました。

多分、僕は全国的に見ても『葬儀とは』の考え方がハッキリし
ている人間の一人であろうと思います。 
たったの10ページ読んだだけで、自分で書いたものなのに妙に
納得する自分がいました。
しかし、その持論を押し付ける気は毛頭ありません。

葬儀であれ、結婚式であれ、誕生日であれ、日々の娯楽であれ
人それぞれ、家族それぞれだからです。
それからひとつ思い出しました。 9年間葬儀依頼を受け施行
してきましたが、家庭内の温度、故人との温度はマチマチです。

葬儀の話しを書く殆どは、温もりのある家庭を前提とした内容
であり、故人に対する家族の思いも温かいものが前提です。

しかし故人が好き勝手してきた人、家族の事など考えない人、
時には暴力を奮う人だっているのです。 
死んだ人の悪口など言うもんじゃない・・・できるだけの事は
してあげるべきだと、無責任に発言をする人もいますが、僕は
そうは思いません。 

故人の暴力に怯えながらの日々、故人の性格に問題があり家族
バラバラに生活をしてきた人達等、人によっては安堵する家族
だっているでしょう。

葬儀の打合せをしていると、その辺の事が頭をよぎる家族って
いたりするものです。 そんな時は、家族だけならぶっちゃけ
その辺りの事情を聞くこともあります。
中には堰を切ったように、今まで溜ったものを一気に吐き出す
家族もいますし、余り語りたがらない家族もいるし、家族毎に
違いはありますが、そんな時の対応は決まっています。

本音では何もしてあげたくない・・・のかもしれません。
が、親戚や世間に対する見栄ではなく、仮面というか建前って
感じを受けることもあります。
その家族の気持ちのままに行えるようサポートします。

全ての葬儀社ではありませんが、その辺の精神的事情も含めて
理解してくれる葬儀担当者もいるはずです。
自分達の力になってくれる葬儀社、担当者を見つけておけたら
大抵の事は解決するでしょう。 事前に探しておくべきです。

直葬だけのお葬式、旅支度だけは整えての火葬、家族葬儀など
家族毎に色々ですが、その葬儀で我々が目指すのはたった1つ
葬儀の後で家族の心に少しでも、故人を偲ぶ気持ちが芽生えて
くれたら、嫌な思い出のほうが多いかもしれませんが、故人の
いい部分が心の中に湧き出してくるような、葬儀になってくれ
ることを願うだけです。

僕が中学、妹が小学生の時に蒸発し、38年間の時を経て父親が
逝去した知らせを受け、都内裁判所の遺言書開封に立ち会った
妹は、最後を看取ってくれた女性と何を話したか分りませんが、
国内だけでなく、時々海外旅行もしていたと聞かされたのだと
思います。 自分達を放っておいた父親に対して好感は持って
いませんでした。 ・・・妹の気持ちは分ります。

でも僕の中では、それなりに生活していた事が分って安堵感の
ほうが強かったのです。 父親に対する妹と僕の思いに違いは
ありますが、今思うと、僕のほうが幸せに思えるのです。

亡くなった人に恨み辛みを持っても解決はしません。 もしか
したら妹の中には、彼女自身の人生が終わるまで父親のことや
父親を追い出す何かの度に、嫌な思いをするのかもしれません。

対して僕の中にいる父親は、商売をしていた頃の、怒ると怖い
けど子煩悩な父親像が強く残っています。 父親の事を思い出
しても嫌な思いはありません。 間違いなく僕のほうが楽です。

できるか、どうか分りませんが、我々が施行した葬儀の家族は
故人に対し、僕に近い感覚を持ってくれたらと思うのです。
その為にも隠さず本音を吐き出し、溜ったものは全て空にする
場は必要です。 それが我々であったら家族は救われるかも・・・


にほんブログ村 その他生活ブログ 葬儀・法事(個人)へ
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります