夫婦で葬儀相談に来られる方は結構多いですが、その中でも
70代の人達が一番多いように感じます。
まだまだ元気な人達が多いのは確かだけど、自分達のことを
老人と呼んだと思えば、すぐあとで年を取ったら・・・
こんな言葉も出てくる。 本音は中年? 高年? どっち?
もう年だから、いつ何があっても不思議ではないと考え入会
させて貰いにきました。 と言うのだから高年の自覚はある
のでしょうが、今すべき事のひとつとして『夫婦で出掛ける』
なら今ですよって言うと、初めは「そうですね。 年を取っ
たら出掛けるつもりではいるんですよ」なんて言う。
おぃおぃ、70代の人が年を取ったらっていつの事だ!?
思わず突っ込みを入れたくなる発言、僕ですから当然、突っ
込んでいますけど「もう充分年寄りでしょ!? 僕の年代の
60代も充分に対象ですからね」って言うと「そうですよね」
相談者も笑って納得しています。
今日はこの部分の具体的な方法を少し書いてみます。
初めに自覚して欲しいのは、夫婦ともに過ごせるのは永遠で
なく、そう遠くない将来、それは明日かもしれない・・・
夫婦どちらかの存在が無くなる日が来るって事です。
こんな事は誰でも分っている事・・・
人が死ぬのは誰でも知っている事・・・
でも、それはすぐでないと思っているし、自分達にとっては
まだ対岸の火だと思っている人が99%だという現実です。
ところが時に『まさか!』が起こるのも現実です。
何人、何十人と、そんな家族を見てきました。
いつものように朝出掛け、仕事を終え、いつものように退社
してから帰宅途中で突然の逝去
いつものようにトラックで荷物を運び、横浜に到着して荷物
下ろしの途中で逝去
家族が朝起きて台所に行くと息絶えて倒れている旦那を発見
こんな話しなら、いくらでもあります。
脅かすつもりじゃないと言わない、でも脅える必要はない。
脅えてどうなるものではない。 でも現実だと分れば良い。
僕の個人的に感覚で言わせて貰えば、人生最大の目的とは、
『己が人生を精一杯楽しむ事』が全人類の目標と思ってる。
こう書くと楽しめる人ばかりではない、という意見もあると
思いますが『己が』とうたっているのは、人は産まれた瞬間
から平等ではない。
生まれた家の状況も違えば、肉体的、精神的にも違うし容姿
だって違う、生まれた国家情勢も違う。
これを平等だと言うほうが不自然なのは誰でも分る。
どんな環境、状況でも自分なりの人生をという事です。
長い事夫婦をしていれば晴ればかりでなく、雨もあれば、嵐
だってあるし、時には梅雨のような時期もあったでしょう。
その長い年月を一緒に過ごした同士、夫婦揃って元気のある
うちに出来ることは、何でもしておく事を強くお勧めします。
※ お弁当持って桜の花見に行くとか
※ 近場の温泉に行くとか
※ 公園や遊園地に行き手を繋いで散歩するとか
※ 勿論、余裕があるなら旅行も良いですよね。
何処かに行くばかりでなく、夫婦揃って過ごす時間を大切に
して欲しいのと、今できる事を楽しんで欲しいと思う。
夫婦ともに元気な時、少し歩くのが辛くなってきた時、どち
から一方が床に伏した時、その時々でできる事は違います。
いつまでも元気ではいられません。
いつまでも夫婦揃って過ごすことはできません。
・・・そして、いつか配偶者が隣からいなくなる日が来る。
隣にいて当然と思っていた人がいなくってみれば分る・・・
配偶者の存在がどれだけ大きいものだったか・・・
それは空気のような存在であり、水のような存在でもあり、
あって当然と思ってしまうが、無くなって初めて分るのが、
その存在の大きさ・・・では間に合わないのです。
そんな夫婦を沢山見てきたのだから、経験の無い人、そんな
事すら考えられない人に伝える責任があるように思える。
これを見たら、あとは自分達で決めること・・・
大切なのは何かをする事ではなく、今の時間を大切にしよう
とする心なんだと思う。
朝起きて「おはよう」の挨拶とハグをしてみると良い・・・
出掛ける時は、手を繋いで歩くと良い・・・
食事やお茶の時は、おしゃべりすると良い・・・
お互いマッサージし合うのも良い・・・
いつまでもこんな時間を過ごしていたいと思えたら最高です
これってさ、年寄りばかりでなく、若くても一緒です。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります