前回ブログでも近未来予想を書きましたが、どうもこの感覚って
僕の経営原理でもあるようです。
日常の小さな出来事を積み重ねる事で、見えてくる未来予想図に
対応した事業展開をしていく事を第一とした迅速な言動が鉄則。
こんな風に書くと、うちの千明のように「そんな才能はない」と
自分で断言する人も多いですが、これって才能でしょうか?
才能ではなく、不便、不満、希望、要望を形にするだけ・・
現状を良しとせず、より良いものを求める欲求が強いか、我慢を
する人かの違いのように思えます。
本当に才能ある人の意見は、我々では参考にならないものです。
松下幸之助しかり、孫正義しかり、我々とは見ているものが違う
のを再認識するだけ、能力の違いをより強く感じるだけです。
でも現実に起きた事実をあとから解析するのは、誰にでもできる
事ですし、僕にだって出来ることです。 その例として・・・
誰でも分ることなら、昔は肉屋、八百屋、魚屋、菓子屋、惣菜屋
雑貨屋など、全て別々の店に買いに行くのが当たり前だったのを
ひとつにまとめたのがスーパーで、その結果個々の商店はお客が
来なくなり存続できなくなりました。
ならスーパーはずっと存続できるか?
いえいえ、当初のスーパーは50坪で大きなお店でしたが、その後
100坪、200坪と大きくなり続け、今ではひとつの建物が町とも
いえるほど巨大なショッピングモールになっています。
また、昔の商店は朝7時頃には開店、誰も来なくなる夜11時頃に
閉店なんてのは普通でしたが、時代の流れで開店は朝10時、夜の
7時に閉店するようになりました。
しかし来店客の要望で、夜の11時まで営業、朝も少し早く・・・
この感覚を先取りしたのがセブンイレブンです。
これは歩きが当たり前の時代から、自転車、自動車と進化をして
きたり、洗濯は手洗いが当然から洗濯機へと変化したのも一緒、
全て希望、要望を形にしたものです。
交通でいうと、都内のように電車や地下鉄網が完備されていれば
自家用車の所有など不要ですが、群馬県は電車網が完備されては
いませんから、自家用車が無いと動きが取れません。
保有率は全国第一位となる・・・実に自然な流れなのです。
これらと同じ発想から生まれたのが、あんしんサポートです。
今から10年前と現在、言ってる事は全く変わっていません。
10年前からくちにしていた事を改めて書いてみます。
『安価な安置所』
5.000円~納棺安置 10.000円~個室安置
公営住宅住居者の高齢化と、独居者急増により、自宅安置よりも
安心して任せられる低料金の安置所が求められるのは当然
『家族以外の行う葬儀』
69.000円・直葬(火葬を主体としたお葬式)
100.000円・ぱっく60(直葬+散骨『永代供養墓納骨可』)
120.000円・完全委託(上記パックを全て当方のみで完遂)
独居老人は当時も増えていました。 また世間との接触も減って
いますから、結局のところ病院、施設、そして最後は行政からの
連絡を受けた兄弟姉妹、甥姪などが行う葬儀が増える
『低料金葬儀』
69.000円~169.000円・直葬7種(焼くだけ~読経戒名付まで)
229.000円・家族葬(+7万円で宗教者付家族葬の総額)
少額年金で生活し、施設入所が必要になれば1千万円程度の貯金
では無理な現実です。 葬儀うんぬん以前の大問題
『墓閉じ』
相場の半額~四分の一
墓守不在が増えるのは子供でも分る現実、しかし現状の決まりは
過去の子沢山時代のまま、墓閉じするしか方法はない
『永代供養墓』
50.000円・散骨込・33回忌まで保管可
墓守不在なら永代供養墓に、考え方は間違っていませんが、その
料金が高額過ぎて使うなと言ってるようなもの
『山林自然散骨』
50.000円・全散骨、一部手元供養、一部永代供養墓、の選択可
散骨が増えるのは分りきっていた事、しかし散骨の難点が判明、
後日、手を合わせられるよう永代供養墓建立
『独居者住居整理』
25.000円~・部屋の片づけ(遺品整理はしません)
住む人が亡くなれば整理、それも低料金で・・・当然でしょ?
『墓誌彫り・納骨』
25.000円・納骨と墓誌彫りセット料金
我々がどんなに努力して低料金葬儀をしても、宗教者への謝礼、
納骨と墓誌彫りで5万円、6万円が現実、結局、会員さんからの
依頼により、墓誌彫り機器一式、軽自動車を購入して半額で開始
『宗教者紹介』
70.000円・僧侶、神主、当方の趣旨を知った宗教者の方々から
「お手伝いをさせてください」と来てくれた方々ですから、料金
的には相場の7~8分の1で対応して頂いております。
檀家には成らない為、利用者も依頼時のみ謝礼をすれば良いと、
非常に好評です。
いかがでしょうか、無から僕が考えた訳でなく、全て利用者から
の希望、要望、不満から生まれるべくして生まれたものです。
その多くは時代が求めたものであり、過去の概念はありません。
常識とは時代の中で、いかようにも変化するものです。
すでに葬儀の常識は相当変化しているのが現実です。
読んで分るように特殊な能力など無くても分ることばかりです。
何かを始めようとする人なら、こんな考え方のほうが偉人の本を
読むより参考になるかもしれません。
そうそう、時代が求めるものとして、あるか、ないかは分らない
ですが、あっても当然と思うのが、著書の最後に少しだけ触れた
『老人シェアハウス』です。 次回少し書いてみます。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります